「道はない、しかし進まねばならない・・・」
イタリアの作曲家ルイジ・ノーノが言ったそのコトバが、僕は好きだ。
人はそのような生き物としてこの世界に位置しているのではないかとも思う。
地はどよめき、水が騒いだ。
雨に打たれること、空気を吸うことさえ、身心をおびやかす。
いま心穏やかでいられる人などいない。
それを承知で、あえてレッスンを再開している。
踊りの力は、人の人たる感情をよびさまし、心の芯に火種を灯す。
だとすれば、いま休みたくは、ない。
金土日月火水をレッスン、木に作舞し、また金土をレッスンに。
まずは毎日、稽古を開いた。
順次、集まっていただきつつ、身を会わせる貴重さ、胸に深し。
話を交わしつつ、身仕度をし身をほぐす。
会えた、ということがエネルギーになる。いまはそれを、ひときわ感じる。
踊り始めると、熱が宿る。熱のなかで、踊りは心を裸にする。
現実や、その現実のなかにいる自分自身の居方が、より鮮明に感じられることもある。
身のこなしを繰り返しながら、ひとりひとりが、じっとおのおのに向き合ってゆく。
生きている証に向き合うこと、でもある。
とまどいやつまづきを経て、心身の濁りを澄ませてゆくこと。
心の耳をひらき、運動の地平にたつこと。
そんな作業に集中すると時間も空間も新しく息を始める。
踊り終えた顔に、感情が残響しているのは、胸の奥の柔らかいものが、息を吹き返し始めているからか。
いつだって稽古がうまくいった時は確かであったこと。それが、より確かに感じられる。
稽古場で踊る人ひとりひとりの姿を胸に入れつつ、ハッとする。
心が活性化して初めて人は力を発揮できる。
そんな、当然のようなことが、目の前でカタチになる瞬間があるのだ。
地を踏み、天に手を伸ばす
澄ましきった耳にあらゆる音を受け止め、目に宿した光を闇に注ぐ。
「踊っていて、いまわたしはすごく大事な時を過ごしているんじゃないかと思いました」
そんな言葉をもらった。
能や茶の道は、明日の身がわからぬ戦世に成された。そのことを思う、と話してくれた人がいた。
ステップ・イン、と自分なりに名付けた稽古をクラスでは基礎練習の一貫として行なっている。
言葉語りの手応えを肚におろして一歩一歩、地を踏み進んでもらう。
きのうきょう、その稽古のなかで、生命科学者である柳澤桂子さんの訳によるカリール・ジブランの言葉を紹介した。
柳澤さんがチェルノブイリの直後に書かれた名著「いのちと放射能」を、いま読み返している方は多いのではないかと思うが、このジブランの訳文の強さ優しさは何らかの火種になるんじゃないかと思って、稽古場に持っていった。
たとえば、「あなたがたは地球や地球の魂と歩調を合わせて働きなさい」
あるいは、「大地の主とは、神でも霧のなかの小さきものでもなく、この人間というもの」
言葉を織物のように重ねながら、ジブランは、僕ら一人一人がいのちひとつとしてあることを静かに詩に歌う。
ことばを身に刻んでゆくように、稽古はすすんだ。
一歩一歩の、ステップのなかで、
いや、ステップを踏むからだとこころのなかで、
時間が深まりゆき、空間がひろがってゆくようだった。
ひとりひとりが新しい呼吸を始めてゆくようだった。
※各レッスンの具体的な進行状況もご報告していきますので、順次加わっていただければ幸いです。
ひきつづき、よろしくお願いします。
イタリアの作曲家ルイジ・ノーノが言ったそのコトバが、僕は好きだ。
人はそのような生き物としてこの世界に位置しているのではないかとも思う。
地はどよめき、水が騒いだ。
雨に打たれること、空気を吸うことさえ、身心をおびやかす。
いま心穏やかでいられる人などいない。
それを承知で、あえてレッスンを再開している。
踊りの力は、人の人たる感情をよびさまし、心の芯に火種を灯す。
だとすれば、いま休みたくは、ない。
金土日月火水をレッスン、木に作舞し、また金土をレッスンに。
まずは毎日、稽古を開いた。
順次、集まっていただきつつ、身を会わせる貴重さ、胸に深し。
話を交わしつつ、身仕度をし身をほぐす。
会えた、ということがエネルギーになる。いまはそれを、ひときわ感じる。
踊り始めると、熱が宿る。熱のなかで、踊りは心を裸にする。
現実や、その現実のなかにいる自分自身の居方が、より鮮明に感じられることもある。
身のこなしを繰り返しながら、ひとりひとりが、じっとおのおのに向き合ってゆく。
生きている証に向き合うこと、でもある。
とまどいやつまづきを経て、心身の濁りを澄ませてゆくこと。
心の耳をひらき、運動の地平にたつこと。
そんな作業に集中すると時間も空間も新しく息を始める。
踊り終えた顔に、感情が残響しているのは、胸の奥の柔らかいものが、息を吹き返し始めているからか。
いつだって稽古がうまくいった時は確かであったこと。それが、より確かに感じられる。
稽古場で踊る人ひとりひとりの姿を胸に入れつつ、ハッとする。
心が活性化して初めて人は力を発揮できる。
そんな、当然のようなことが、目の前でカタチになる瞬間があるのだ。
地を踏み、天に手を伸ばす
澄ましきった耳にあらゆる音を受け止め、目に宿した光を闇に注ぐ。
「踊っていて、いまわたしはすごく大事な時を過ごしているんじゃないかと思いました」
そんな言葉をもらった。
能や茶の道は、明日の身がわからぬ戦世に成された。そのことを思う、と話してくれた人がいた。
ステップ・イン、と自分なりに名付けた稽古をクラスでは基礎練習の一貫として行なっている。
言葉語りの手応えを肚におろして一歩一歩、地を踏み進んでもらう。
きのうきょう、その稽古のなかで、生命科学者である柳澤桂子さんの訳によるカリール・ジブランの言葉を紹介した。
柳澤さんがチェルノブイリの直後に書かれた名著「いのちと放射能」を、いま読み返している方は多いのではないかと思うが、このジブランの訳文の強さ優しさは何らかの火種になるんじゃないかと思って、稽古場に持っていった。
たとえば、「あなたがたは地球や地球の魂と歩調を合わせて働きなさい」
あるいは、「大地の主とは、神でも霧のなかの小さきものでもなく、この人間というもの」
言葉を織物のように重ねながら、ジブランは、僕ら一人一人がいのちひとつとしてあることを静かに詩に歌う。
ことばを身に刻んでゆくように、稽古はすすんだ。
一歩一歩の、ステップのなかで、
いや、ステップを踏むからだとこころのなかで、
時間が深まりゆき、空間がひろがってゆくようだった。
ひとりひとりが新しい呼吸を始めてゆくようだった。
※各レッスンの具体的な進行状況もご報告していきますので、順次加わっていただければ幸いです。
ひきつづき、よろしくお願いします。