8月5回にわたって展開した夏の集中レッスン、本日31日をもって無事終了しました!
明日からは、さっそく定期クラス秋タームに入ります。
今回は、きびしい暑さにも関わらず、また神戸・山形・青森など、ご遠方の方やご多忙な方にもお集りいただき、本当にうれしかったです。そして、普段から定期クラスで練習している仲間からも意欲的な参加がありました。そのため、新鮮さと親しさが溶け合うような、非常に豊かなメンバーでの特別レッスンとなりました。地に足ついた社会人どうし、寡黙に真剣に遊んだ踊り場だったと感じました。
踊りの最初の一歩を改めて体験/探索しながら、最終日には魂と魂が向き合うような静謐な空気が生み出されて、なんだか生まれ直したような、まぶしさを感じました。
参加者のみなさま、改めて、お疲れさまでした、ありがとうございました!
さて、今回の集中レッスンで最も特徴的だったことは、みんなで「いっしょに」空気や空間や時間をつくりだす作業をかなり意識した点。
まずカラダから、という前に、
まず場づくりから、と言いましょうか。全員で、また2人組で、動きの流れや動きのまとまりや動きの解体破裂を練習しあい、空間幾何学やカオスを体験。その中で、じわじわと個々の姿勢や運動や感情が生み出されてゆく。「作用」というキーワードが、いつしかあっちこっちに響いていた。
「いっしょに」って、すごいことなんですよね、本当に「いっしょに」アルことの陰影を期待を困難を、我々大人になったあとは感じて、ひとりひとり歩いている。でも、やはり、互いにこの地上にたっていることを、踊りは教えてくれる…。
いえ、僕が提示したワークは、ごく単純でしたよ。
みんなで環をつくろうよ。
その中で感じ合いながらスッキリ立ちましょうよ、その感覚を失わないで歩きましょう走りましょう、さて、その環を一気に崩しますよ…。あるいは、
目を閉じて耳をすまして、こんなことあんなこと(くわしくはちょっと秘密ですが、、、)。
人生歩いているなかで、あえて遊技の提案というか。
しかし、これらごく単純な作業に関わる関わり方が、ひとりひとり豊かだったのです。フィードバックのたびに出てくる言葉にも生活や肉体や心の歴史が、ふとよぎる。それがまた動きに映る。言い得ることは言うなかで、言い得ぬことが身体から醸し出されてゆく。
最終日には、なんとも言えない豊かな沈黙と敏感デリケートな姿でみんなが立っておられた。
姿勢、すなわち、たった今ぎりぎりの姿と勢いが、繊細で優しい揺らぎを伴って音や言葉や場所や時間を受け止めていた。
その感触感情を、生々しく持って帰っていただきたく、最低限の感想にて終えさせていただきましたが、これを読んでくださっている参加者の方々、すごい良かったです。清い深い息吹きを感じました!
ついでながら、
僕も初心を思い出しながら、踊りにとって、何が本当に大事なことなのか、人が踊る、ということから、どんな宇宙が開けてゆくのか。大事に真剣に捉えなおし自ら稽古や試行錯誤をしながら「取り組みなおす」夏となりました。結果的に、僕が関わってきたいくつかの稽古方法とりわけオイリュトミーと舞踏の垣根を取り払う努力に意識的に取り組めたことがあり、とてもささやかな一歩だとしても、新たな出発が予感できました。
それが、具体的な成果として身に結ばれるのは未だ先かもしれないが、気付きや衝動のわずかわずかを、明日からの定期活動や創作に注入したいと思います。
ここからの一歩一歩、ぜひ、お見守りいただけますよう、関わっていただけますよう、よろしくお願いします‼
*次の集中レッスンは2月~3月あたりのあいだで何か企画できればと思っています。
普段のレッスンでは行ないにくいこと、遠方の方や多忙な方も参加できる場、さまざま考えていきたいので、御意見やリクエストなどもぜひお願いします。
明日からは、さっそく定期クラス秋タームに入ります。
今回は、きびしい暑さにも関わらず、また神戸・山形・青森など、ご遠方の方やご多忙な方にもお集りいただき、本当にうれしかったです。そして、普段から定期クラスで練習している仲間からも意欲的な参加がありました。そのため、新鮮さと親しさが溶け合うような、非常に豊かなメンバーでの特別レッスンとなりました。地に足ついた社会人どうし、寡黙に真剣に遊んだ踊り場だったと感じました。
踊りの最初の一歩を改めて体験/探索しながら、最終日には魂と魂が向き合うような静謐な空気が生み出されて、なんだか生まれ直したような、まぶしさを感じました。
参加者のみなさま、改めて、お疲れさまでした、ありがとうございました!
さて、今回の集中レッスンで最も特徴的だったことは、みんなで「いっしょに」空気や空間や時間をつくりだす作業をかなり意識した点。
まずカラダから、という前に、
まず場づくりから、と言いましょうか。全員で、また2人組で、動きの流れや動きのまとまりや動きの解体破裂を練習しあい、空間幾何学やカオスを体験。その中で、じわじわと個々の姿勢や運動や感情が生み出されてゆく。「作用」というキーワードが、いつしかあっちこっちに響いていた。
「いっしょに」って、すごいことなんですよね、本当に「いっしょに」アルことの陰影を期待を困難を、我々大人になったあとは感じて、ひとりひとり歩いている。でも、やはり、互いにこの地上にたっていることを、踊りは教えてくれる…。
いえ、僕が提示したワークは、ごく単純でしたよ。
みんなで環をつくろうよ。
その中で感じ合いながらスッキリ立ちましょうよ、その感覚を失わないで歩きましょう走りましょう、さて、その環を一気に崩しますよ…。あるいは、
目を閉じて耳をすまして、こんなことあんなこと(くわしくはちょっと秘密ですが、、、)。
人生歩いているなかで、あえて遊技の提案というか。
しかし、これらごく単純な作業に関わる関わり方が、ひとりひとり豊かだったのです。フィードバックのたびに出てくる言葉にも生活や肉体や心の歴史が、ふとよぎる。それがまた動きに映る。言い得ることは言うなかで、言い得ぬことが身体から醸し出されてゆく。
最終日には、なんとも言えない豊かな沈黙と敏感デリケートな姿でみんなが立っておられた。
姿勢、すなわち、たった今ぎりぎりの姿と勢いが、繊細で優しい揺らぎを伴って音や言葉や場所や時間を受け止めていた。
その感触感情を、生々しく持って帰っていただきたく、最低限の感想にて終えさせていただきましたが、これを読んでくださっている参加者の方々、すごい良かったです。清い深い息吹きを感じました!
ついでながら、
僕も初心を思い出しながら、踊りにとって、何が本当に大事なことなのか、人が踊る、ということから、どんな宇宙が開けてゆくのか。大事に真剣に捉えなおし自ら稽古や試行錯誤をしながら「取り組みなおす」夏となりました。結果的に、僕が関わってきたいくつかの稽古方法とりわけオイリュトミーと舞踏の垣根を取り払う努力に意識的に取り組めたことがあり、とてもささやかな一歩だとしても、新たな出発が予感できました。
それが、具体的な成果として身に結ばれるのは未だ先かもしれないが、気付きや衝動のわずかわずかを、明日からの定期活動や創作に注入したいと思います。
ここからの一歩一歩、ぜひ、お見守りいただけますよう、関わっていただけますよう、よろしくお願いします‼
*次の集中レッスンは2月~3月あたりのあいだで何か企画できればと思っています。
普段のレッスンでは行ないにくいこと、遠方の方や多忙な方も参加できる場、さまざま考えていきたいので、御意見やリクエストなどもぜひお願いします。