画家の中島潔さんが清水寺に奉納された46面のふすま絵がテレビで紹介された。
息を飲んだのは、金子みすゞの詩に触発されて描いたという『大漁』。
目眩するような画面は銀色に輝やく。宇宙銀河かと思ったが、ちがう。
画面いっぱいにイワシの大群が泳いでいるのだ。
ゴゴォッ、と音が聞こえるようだ。アタマのてっぺんから飲み込まれるようだ。
その大群の真ん中に、ひとりの少女がぴっと背を伸ばして立っている。
凄まじい数の魚体がうねり放つ、爆発しそうなエネルギーを全身で受け止めて立っている。
少女の顔は一見可憐だが、その眼は海のように深い。
悲しみの底から渾々と湧き上がる愛しみというべきか、とても強くて優しい眼だ。
一方、少女を巡る銀河イワシの眼は真っ白だ。
どの魚体もみんな、眼玉が無い。
さらに眼窩からエラ、肚あたりにかけて、あざやかに赤い血が滲んでいる。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらい
するだろう。
(金子みすゞ)
祝祭と弔い。
喪われる命によって、
つながる命。
あゝ!
イノチとキモチが悲鳴をあげているイマ。
このような絵こそ、子どもに見せたい。ひとりで観るのはもったいない。
テレビ画面を通してだが、強く揺さぶられた。きっと京都に行こう。
弱い、壊れやすい、鰯。
弱いからこそ、壊れやすいからこそ、生命の息吹を宿している。そう語る中島さん。
お皿にイワシを置いて、向き合って、描いて、そのイワシを調理して、食して、またお皿にイワシを置いて描き。
という、中島さんの日々が紹介された。
こうやってコトバを読むんだなあ。体に通してゆくんだなあ。
中島さんの、数えきれない沈黙から、みすゞの言葉が再生してゆく。
再生してゆく言葉とともに、言葉の向こうにアル、命の哀しみ喜ぶさんざめきが、蘇生してゆく。
「人間と同じ赤い血が流れています」
と言いながら、ていねいに鮮やかな赤色を、ひとつひとつの魚にそえてゆかれる。
その筆先、画面に向かい合う体のなりから、とても長い試行錯誤や思いの積み重なりや、見つめる人あらわす人としての厳しさ優しさを、想う。
ずっと「生きて」こられたんだな、と感じた。
凄まじい量のイワシに、そのまま、命を削った凄まじい作業の軌跡を感じた。
コレだ、と思ったことをトコトンまで受け止め切る。
ひとつの個が身を削った命の軌跡を祈りの場に架ける。
橋を架けるように。
この姿勢こそ、まさに「現代のアート」なのかしれないと思った。
息を飲んだのは、金子みすゞの詩に触発されて描いたという『大漁』。
目眩するような画面は銀色に輝やく。宇宙銀河かと思ったが、ちがう。
画面いっぱいにイワシの大群が泳いでいるのだ。
ゴゴォッ、と音が聞こえるようだ。アタマのてっぺんから飲み込まれるようだ。
その大群の真ん中に、ひとりの少女がぴっと背を伸ばして立っている。
凄まじい数の魚体がうねり放つ、爆発しそうなエネルギーを全身で受け止めて立っている。
少女の顔は一見可憐だが、その眼は海のように深い。
悲しみの底から渾々と湧き上がる愛しみというべきか、とても強くて優しい眼だ。
一方、少女を巡る銀河イワシの眼は真っ白だ。
どの魚体もみんな、眼玉が無い。
さらに眼窩からエラ、肚あたりにかけて、あざやかに赤い血が滲んでいる。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらい
するだろう。
(金子みすゞ)
祝祭と弔い。
喪われる命によって、
つながる命。
あゝ!
イノチとキモチが悲鳴をあげているイマ。
このような絵こそ、子どもに見せたい。ひとりで観るのはもったいない。
テレビ画面を通してだが、強く揺さぶられた。きっと京都に行こう。
弱い、壊れやすい、鰯。
弱いからこそ、壊れやすいからこそ、生命の息吹を宿している。そう語る中島さん。
お皿にイワシを置いて、向き合って、描いて、そのイワシを調理して、食して、またお皿にイワシを置いて描き。
という、中島さんの日々が紹介された。
こうやってコトバを読むんだなあ。体に通してゆくんだなあ。
中島さんの、数えきれない沈黙から、みすゞの言葉が再生してゆく。
再生してゆく言葉とともに、言葉の向こうにアル、命の哀しみ喜ぶさんざめきが、蘇生してゆく。
「人間と同じ赤い血が流れています」
と言いながら、ていねいに鮮やかな赤色を、ひとつひとつの魚にそえてゆかれる。
その筆先、画面に向かい合う体のなりから、とても長い試行錯誤や思いの積み重なりや、見つめる人あらわす人としての厳しさ優しさを、想う。
ずっと「生きて」こられたんだな、と感じた。
凄まじい量のイワシに、そのまま、命を削った凄まじい作業の軌跡を感じた。
コレだ、と思ったことをトコトンまで受け止め切る。
ひとつの個が身を削った命の軌跡を祈りの場に架ける。
橋を架けるように。
この姿勢こそ、まさに「現代のアート」なのかしれないと思った。