たまたまテレビで演奏会が放送されていて、慌ててチャンネルを合わせた。
がっしりした体躯から伸ばされた左手が時を刻む。
ブラームス。
音の一つ一つが深く響いて、人生の記憶を呼び覚ましているようだ。
人間の音楽。
表現を通じて、人は表現者その人を、じっと感じ取る。
フライシャーのピアノは、そんな事を思い出させてくれる。
病で右手の自由を失ったが、回復するまで、左手だけのレパートリーによって演奏活動を続けた人。
音楽にも、踊りと同じく、長い持続を経てゆくなかでのみ実現されるものがあるのだと思う。
表現活動においては、他者に向き合うことの持続。それは等身大の自己を見つめる持続でもある。
左手だけのブラームスからは、この人の、長い持続の時間がこぼれてくる。
情熱と勇気と愛情が音になって、時を刻む。
淡々と奏でられる音は、飾りが無く、力強く、落ち着いている。
等身大を覚悟した芸術は、どこか静かだ。
そして、病の壁を破った右手が鍵盤に差し出され、そっと歌を奏で始めた。
ため息が出るようなシューベルトだった。
冬の陽光のように、真っ直ぐに、透明に、音が射し込んで来る。
悦びや痛みの一つ一つが、ほのかに解きほぐされてゆくように。
音の波に揺られながら、私の心も、過ぎた時を受け止め直してゆく勇気を取り戻す。
過ぎた時を受け止めることから、いまを感じることが出来る。
音楽よ、ありがとう。
シューベルトの向こう側から、そんな声が聴こえてくる。
やはり至福である。
がっしりした体躯から伸ばされた左手が時を刻む。
ブラームス。
音の一つ一つが深く響いて、人生の記憶を呼び覚ましているようだ。
人間の音楽。
表現を通じて、人は表現者その人を、じっと感じ取る。
フライシャーのピアノは、そんな事を思い出させてくれる。
病で右手の自由を失ったが、回復するまで、左手だけのレパートリーによって演奏活動を続けた人。
音楽にも、踊りと同じく、長い持続を経てゆくなかでのみ実現されるものがあるのだと思う。
表現活動においては、他者に向き合うことの持続。それは等身大の自己を見つめる持続でもある。
左手だけのブラームスからは、この人の、長い持続の時間がこぼれてくる。
情熱と勇気と愛情が音になって、時を刻む。
淡々と奏でられる音は、飾りが無く、力強く、落ち着いている。
等身大を覚悟した芸術は、どこか静かだ。
そして、病の壁を破った右手が鍵盤に差し出され、そっと歌を奏で始めた。
ため息が出るようなシューベルトだった。
冬の陽光のように、真っ直ぐに、透明に、音が射し込んで来る。
悦びや痛みの一つ一つが、ほのかに解きほぐされてゆくように。
音の波に揺られながら、私の心も、過ぎた時を受け止め直してゆく勇気を取り戻す。
過ぎた時を受け止めることから、いまを感じることが出来る。
音楽よ、ありがとう。
シューベルトの向こう側から、そんな声が聴こえてくる。
やはり至福である。