本日は今年の稽古納め。基礎クラスだった。
年末の多忙の中を集まっていただき、カラダに集中する2時間を共有することができた。今年も生きてきた、ありがとう。という気持ちが感じられるような稽古空間だったと思う。踊りの基礎とは身体への配慮が行き届いてゆくということであるから、今日感じた空気は、本当に良かった。
カラダづくりをテーマとしたこのクラスは、同時に踊りの原点でもある。
背筋を通す、呼吸を深くする、関節を一つ一つ確かめるように動く、力を充満させる、解き放つ、空間にエネルギーの軌跡を描く、体内リズムを感じとる。
淡々としたエクササイズの連続は、自らに向き合う「動禅」でもある。そして、多くは語らぬけれど、僕なりのメッセージも込めて進めている。それは、あなた自身を信じてほしいということだ。努力や誠意がカタチになって現れる。それが身体だ。身体は、まず嘘をつかない。練習とは気持ちとカタチの受け答えである。その連続は、一つの事を続けてゆくと「絶対に」結果が出る、という事実につながる。身体の佇まいは、その人の人生を象徴する。
僕らは生きている。それは、イコール、僕らは「存在すること」に向き合っているという事だ。踊りは、何よりもそのことを実感させてくれる。生の実感を、存在することの実感を、他者と分かち合えるようになるということが、踊れるようになる、ということだと思う。伝わる動き・ヴァイブレーション。それが踊りであるとすれば、まずは己の気持ちを己のカラダに伝えてゆく、己のカラダの声を己の気持ちで受け止めてみる、そこから出発したい、絶えず、そこに還ってゆきたい。
カラダをつくる。とは、カラダと意思疎通する。ということでもある。
人は、希望をつなぐために踊ってきたのだと感じている。希望の根っこは自己存在への信頼にあると思う。それをいざなうのは生きているという実感だ。活力あるカラダは何よりも生の拠点となる。
稽古に来る人たちにも、希望とか自信とか、とにかく肯定的な、「Yes」という感覚をカラダから掘り起こしてもらいたくてレッスンを続ける。心身を耕す行為が稽古である。からだに感情を満たし、動くということを通して生きている事を確かめ、からだに対して感謝する。そんなことを繰り返してゆきたい。
今年も良い稽古を共有できた。クラスの皆さん、いつも真摯な取り組みを、本当にありがとうございます!
年末の多忙の中を集まっていただき、カラダに集中する2時間を共有することができた。今年も生きてきた、ありがとう。という気持ちが感じられるような稽古空間だったと思う。踊りの基礎とは身体への配慮が行き届いてゆくということであるから、今日感じた空気は、本当に良かった。
カラダづくりをテーマとしたこのクラスは、同時に踊りの原点でもある。
背筋を通す、呼吸を深くする、関節を一つ一つ確かめるように動く、力を充満させる、解き放つ、空間にエネルギーの軌跡を描く、体内リズムを感じとる。
淡々としたエクササイズの連続は、自らに向き合う「動禅」でもある。そして、多くは語らぬけれど、僕なりのメッセージも込めて進めている。それは、あなた自身を信じてほしいということだ。努力や誠意がカタチになって現れる。それが身体だ。身体は、まず嘘をつかない。練習とは気持ちとカタチの受け答えである。その連続は、一つの事を続けてゆくと「絶対に」結果が出る、という事実につながる。身体の佇まいは、その人の人生を象徴する。
僕らは生きている。それは、イコール、僕らは「存在すること」に向き合っているという事だ。踊りは、何よりもそのことを実感させてくれる。生の実感を、存在することの実感を、他者と分かち合えるようになるということが、踊れるようになる、ということだと思う。伝わる動き・ヴァイブレーション。それが踊りであるとすれば、まずは己の気持ちを己のカラダに伝えてゆく、己のカラダの声を己の気持ちで受け止めてみる、そこから出発したい、絶えず、そこに還ってゆきたい。
カラダをつくる。とは、カラダと意思疎通する。ということでもある。
人は、希望をつなぐために踊ってきたのだと感じている。希望の根っこは自己存在への信頼にあると思う。それをいざなうのは生きているという実感だ。活力あるカラダは何よりも生の拠点となる。
稽古に来る人たちにも、希望とか自信とか、とにかく肯定的な、「Yes」という感覚をカラダから掘り起こしてもらいたくてレッスンを続ける。心身を耕す行為が稽古である。からだに感情を満たし、動くということを通して生きている事を確かめ、からだに対して感謝する。そんなことを繰り返してゆきたい。
今年も良い稽古を共有できた。クラスの皆さん、いつも真摯な取り組みを、本当にありがとうございます!