きょうみたく青青と晴れわたっていると、空がやたら大きく見えました。
で、ああ、なんて小さいんだこの身体って私って、など思いつつもパ~ッと走り込みをしました。(ダンサーなんて言うけれど、感情的な体育屋で充分かな。)
走っても走ってもやはり空は大きいですね~。
小さいな~弱いんだな~と、すっきり認めてみると何とも気持ちよいもので、
なんだか軽くて活動的になったように感じてしまうんだから不思議です。
見通しの良い場所を選んで、力を抜いてユルッと立ち、習慣となっている一通りのエクササイズのあと、いったん靴を脱いで裸足になりました。地面の感覚を、身に刻んでおきたかったのです。冷たい地面はやはり硬かったです。20分程かしら、そこに、深く足跡をつけるように、踏み、踏んで、背を伸ばしますと、足の皮膚に、水分と土の感触が出てきました。何度も何度も踏んで、凍てつく足裏から色んな感触が身体に入って、さてとばかりに靴を履き直し、道路に走り出ました。パッパと走っていると、とても一人になれます。深刻に考えていても実はどうでも良い事たくさん。それらは振るい落ちてゆき。とても無意識で一見どうでも良く、実は、いま大事な事は鮮明に。なってゆくような。
あのテーブルだけは片付けましょうか、本日キノコだけは食さねば、ニジンスキーの身長って何センチなんだろ、コインと紙幣どちらが重要か、キューブリックの遺作の最初のショット思い出せないい~。(書いてみると変ですね。でも大事な事って、ほんと客観的にはたわいない事でして・・・)
そんな中・・・
ある人の言葉を、ふと思い出しました。
「空は父、土は母、私は子ども。宇宙はシンプルなの。」
これ、時々思い出すんです。昔このブログでも書いたかもしれない。
でも、言葉の主は思い出せません忘れちゃったみたい。たしか、ハワイのシャーマンだったと思うんですが・・・。
思えば、ひとからいただいた言葉がたくさんあって、そのおかげで出来てきた事、生きて来れた事、ずいぶんです。
自分の言葉なんかよりも、ずっと大事。
そんな言葉が甦ってくるのは決まって無心に走ってるときだったりする。走るの、好きです。歩くのも、スローの全力疾走。どうもこの辺りの行為が僕のダンスの重心になってるみたいな気がしてなりません。回ったり跳んだりというよりは・・・。リズミカルに呼吸しながら走り回ってると踊りの世界が近づいてくる、なんか開放に向かう。そうしていると自分の世界を飛び越えて、カラダが見知らぬ世界へとひろがってゆく感じがあるのです。身体性、カラダを使って摂理というか大きな循環の波を感じようとするような衝動。広い宇宙空間に対して、身体だって底知れぬ内側へとひろがっている、ということでしょうか。それを実感してゆこうというのがダンスなんじゃないかと、このごろ思うようになってきました。
そろそろ新作をつくる準備が出来てきたみたい。さて、どうしようかな・・・。
で、ああ、なんて小さいんだこの身体って私って、など思いつつもパ~ッと走り込みをしました。(ダンサーなんて言うけれど、感情的な体育屋で充分かな。)
走っても走ってもやはり空は大きいですね~。
小さいな~弱いんだな~と、すっきり認めてみると何とも気持ちよいもので、
なんだか軽くて活動的になったように感じてしまうんだから不思議です。
見通しの良い場所を選んで、力を抜いてユルッと立ち、習慣となっている一通りのエクササイズのあと、いったん靴を脱いで裸足になりました。地面の感覚を、身に刻んでおきたかったのです。冷たい地面はやはり硬かったです。20分程かしら、そこに、深く足跡をつけるように、踏み、踏んで、背を伸ばしますと、足の皮膚に、水分と土の感触が出てきました。何度も何度も踏んで、凍てつく足裏から色んな感触が身体に入って、さてとばかりに靴を履き直し、道路に走り出ました。パッパと走っていると、とても一人になれます。深刻に考えていても実はどうでも良い事たくさん。それらは振るい落ちてゆき。とても無意識で一見どうでも良く、実は、いま大事な事は鮮明に。なってゆくような。
あのテーブルだけは片付けましょうか、本日キノコだけは食さねば、ニジンスキーの身長って何センチなんだろ、コインと紙幣どちらが重要か、キューブリックの遺作の最初のショット思い出せないい~。(書いてみると変ですね。でも大事な事って、ほんと客観的にはたわいない事でして・・・)
そんな中・・・
ある人の言葉を、ふと思い出しました。
「空は父、土は母、私は子ども。宇宙はシンプルなの。」
これ、時々思い出すんです。昔このブログでも書いたかもしれない。
でも、言葉の主は思い出せません忘れちゃったみたい。たしか、ハワイのシャーマンだったと思うんですが・・・。
思えば、ひとからいただいた言葉がたくさんあって、そのおかげで出来てきた事、生きて来れた事、ずいぶんです。
自分の言葉なんかよりも、ずっと大事。
そんな言葉が甦ってくるのは決まって無心に走ってるときだったりする。走るの、好きです。歩くのも、スローの全力疾走。どうもこの辺りの行為が僕のダンスの重心になってるみたいな気がしてなりません。回ったり跳んだりというよりは・・・。リズミカルに呼吸しながら走り回ってると踊りの世界が近づいてくる、なんか開放に向かう。そうしていると自分の世界を飛び越えて、カラダが見知らぬ世界へとひろがってゆく感じがあるのです。身体性、カラダを使って摂理というか大きな循環の波を感じようとするような衝動。広い宇宙空間に対して、身体だって底知れぬ内側へとひろがっている、ということでしょうか。それを実感してゆこうというのがダンスなんじゃないかと、このごろ思うようになってきました。
そろそろ新作をつくる準備が出来てきたみたい。さて、どうしようかな・・・。