ダンスの種は「からだ」にあります。姿・かたち・アウラ・・・。ただ骨や肉があるわけではなく、骨や肉が泣いたり笑ったりしているのが「からだ」なんじゃないかと思うんです。「からだ」とは「気持ちのあらわれ」だと思います。「気持ち」とは「経験と現在」の出会い方だと思います。たとえば腕を動かしながら、僕らはどんな経験を思い出し、どんな感情をいざない、どんな現在を生み出すのでしょうか。たとえば一歩の足を踏み出しながら、どんな未来に出発するのでしょうか。あらゆる動きには感情が宿ります。あらゆる感情は身に映されています。感情は未来を呼び寄せます。
そんなこんなが交差し絡まり合って、ダンスってやつがあらわれてくる。昔の人はダンスを大事にしていました。お祭り、お神楽、巫女舞、盆舞・・・。生活の節目やら、生き死にの嘆きやら、お祈りや予言さえも、身体の高揚に「聴こう」とした。つまり「生命力」に耳を傾けて生きてきた。で、いま、僕らは・・・。どうもダンスっていうのが特別なものになりすぎているんじゃないかと思います。他人と違う何かが、そりゃああります。大事でもありましょう。でも、だれもがすることだって、すごいんじゃないか。生き物ならではの行為。それを寿ぐ気持ち。息をする、立つ/座る、腕を拡げる・・・。そんなことだって、うんと集中すると違ってくるんです、いつもと、何かが。踊りの入口って、とてもシンプルなことを大事にすることなんじゃないかなあ~、なんて思うのですが・・・。
(以前アップしたものを少し書き換えました。残しておきたかったので。)