さて、今日は「稽古」のことについて少し・・・。
ダンスを稽古していくことは、気持ちを解きほぐしたり活動的な身体を得ることですが、これは同時に、セルフ・コントロールとセルフ・コンディショニングのテクニックを発見するということでもあります。
なかでも一番重要なのは「呼吸、姿勢、歩行」についての練習です。
これらは日常だれしも行っていることですが、あらためて意識すると僕らの意識のありように大きな作用をもたらすこと。呼吸とは大気との交流ですし、姿勢は天との、歩行は大地との交流です。これらを通じて、僕らは無意識に環境全体とつながり、エネルギー循環の一翼をになっていることになります。「快と不快」という感覚がありますが、ごく大ざっぱに言うとエネルギーの循環がスッキリしている状態が「快」です。呼吸・姿勢・歩行の3点を柔軟にコントロールすることは「快」の感覚を促しキープするコツともいえますし、「快」はリラックスと冷静さを呼びますから、反応しやすい柔軟な心身にもつながってゆく。なので「呼吸、姿勢、歩行」これが、僕のワークの最重要3項目ということに・・・。
ダンス的身体っていうのがあります。特殊な才能ではありません。ていねいな身体、意識がすみずみまで行き渡って「活かされている」身体です。与えられた「カラダとココロ」を活き活きさせること、その波動を分かち合うこと、こそが、ダンスの本来目標ですから。
からだが硬いだの柔らかいだの言うわけですが、それは、実のところ意識のこわばり具合に集約されると僕は考えます。その、意識なるものに働きかける3つの運動こそ「呼吸、姿勢、歩行」であり、その統合であります。この3点は、いったん仕方を学べば24時間稽古可能なものであり、実生活の快適さにも作用する、最も注目すべき分野だと思います。
ところで・・・、僕の考えでは、ダンスには、ごく大まかに分けて二つの流れがあり、先生やダンサーにも2タイプがあると思います。これは身体に対する二つの眼差しでもあります。
ひとつは、まず器用で頑丈な身体を「準備」して、それを自在に操って何かを伝えようとする流れ。ここでは身体には道具・素材であるという眼差しが注がれています。ですから、当然のように、身体に対して優劣の評価・格差がつきまとい、競い合うことになります。職能化もしやすく合理的ですが、僕は競争好きではありませんので魅力を感じなかった。
次に、もうひとつの流れ。これは、まず今ある身体をしっかり受け止め、身体が動くときの感覚や、動きながらあらわれる感情の起伏を体験することからモチベーションを育て、内面の変化とともに身体を「整えてゆく」という方向です。ここでは、身体は素材でも道具でもなく、その佇まい自体がひとつの人生の軌跡として捉えられます。そして、問われてくるのは身体の機能性の優劣ではなく、いま在る身体に対する接し方や意識の深さということになります。もちろん「より良さ」を求める気持ちは前者とも重なるのでしょうが、どちらかというと他人と競い合うより、自分自身にしっかり向き合う感じが強くなります。僕は、こちらを信頼します。与えられた姿には、何かしら必然があるはずなので。
僕がいつも稽古で紹介している「舞踏」と「オイリュトミー」は、明らかに後者の流れの典型。クラスやワークショップでは、その入口となる体験から始めたいと思います。
クラス・インフォメーション
ダンスを稽古していくことは、気持ちを解きほぐしたり活動的な身体を得ることですが、これは同時に、セルフ・コントロールとセルフ・コンディショニングのテクニックを発見するということでもあります。
なかでも一番重要なのは「呼吸、姿勢、歩行」についての練習です。
これらは日常だれしも行っていることですが、あらためて意識すると僕らの意識のありように大きな作用をもたらすこと。呼吸とは大気との交流ですし、姿勢は天との、歩行は大地との交流です。これらを通じて、僕らは無意識に環境全体とつながり、エネルギー循環の一翼をになっていることになります。「快と不快」という感覚がありますが、ごく大ざっぱに言うとエネルギーの循環がスッキリしている状態が「快」です。呼吸・姿勢・歩行の3点を柔軟にコントロールすることは「快」の感覚を促しキープするコツともいえますし、「快」はリラックスと冷静さを呼びますから、反応しやすい柔軟な心身にもつながってゆく。なので「呼吸、姿勢、歩行」これが、僕のワークの最重要3項目ということに・・・。
ダンス的身体っていうのがあります。特殊な才能ではありません。ていねいな身体、意識がすみずみまで行き渡って「活かされている」身体です。与えられた「カラダとココロ」を活き活きさせること、その波動を分かち合うこと、こそが、ダンスの本来目標ですから。
からだが硬いだの柔らかいだの言うわけですが、それは、実のところ意識のこわばり具合に集約されると僕は考えます。その、意識なるものに働きかける3つの運動こそ「呼吸、姿勢、歩行」であり、その統合であります。この3点は、いったん仕方を学べば24時間稽古可能なものであり、実生活の快適さにも作用する、最も注目すべき分野だと思います。
ところで・・・、僕の考えでは、ダンスには、ごく大まかに分けて二つの流れがあり、先生やダンサーにも2タイプがあると思います。これは身体に対する二つの眼差しでもあります。
ひとつは、まず器用で頑丈な身体を「準備」して、それを自在に操って何かを伝えようとする流れ。ここでは身体には道具・素材であるという眼差しが注がれています。ですから、当然のように、身体に対して優劣の評価・格差がつきまとい、競い合うことになります。職能化もしやすく合理的ですが、僕は競争好きではありませんので魅力を感じなかった。
次に、もうひとつの流れ。これは、まず今ある身体をしっかり受け止め、身体が動くときの感覚や、動きながらあらわれる感情の起伏を体験することからモチベーションを育て、内面の変化とともに身体を「整えてゆく」という方向です。ここでは、身体は素材でも道具でもなく、その佇まい自体がひとつの人生の軌跡として捉えられます。そして、問われてくるのは身体の機能性の優劣ではなく、いま在る身体に対する接し方や意識の深さということになります。もちろん「より良さ」を求める気持ちは前者とも重なるのでしょうが、どちらかというと他人と競い合うより、自分自身にしっかり向き合う感じが強くなります。僕は、こちらを信頼します。与えられた姿には、何かしら必然があるはずなので。
僕がいつも稽古で紹介している「舞踏」と「オイリュトミー」は、明らかに後者の流れの典型。クラスやワークショップでは、その入口となる体験から始めたいと思います。
クラス・インフォメーション