自身も地稽古に戻ったが、リハーサルよりも激しく感じる。定めたトレーニングをひとり淡々とやる。あえて単調、ゆえに刺激的である。あっという間に時間が過ぎる。身体をミクロコスモスとも言うが、自分のカラダには非常に多くの未知情報が潜在するからだろう。身体をじっくり見つめ向かい合う作業は、実はとても刺激的な「旅」だと思う。一時、いろんな国を旅したりもしたのだが、肝心要のこのカラダがピンぼけと感じた。地に足をつけよう。以来、夢がさめた分、現実に興味が出た。身体ほど現実的なものは無く、そこに直接対峙するのが地稽古だ。これを絶やすと、どうもうまくないのは、生活雑事同様、自己管理と連動した「仕事」ということかもしれない。踊りは、現実とたわむれるエネルギーだ。表現であるから、癒しや依存は期待出来ないが、強いアイデンティティーに結びつく。思えば、あちこちで出会う人やクラスの人でも、成果を上げている人に共通するのは、自己管理をちゃんとする人・自分の面倒は自分で見る姿勢がある人。文字通り「個人」たろうとする人だ。時間のやりくりやビジネス・家事などの区切りにいさぎよいから、稽古も規則的に続き、発見をもされる。ただ健康であることから、もう一歩踏み込んでみる。自分の身体(最も近い他者)に真摯に向き合う姿勢が、身近な他者とも気持ちよい接し方(リズム)を生む。メタ・フォラという言葉をきいた。身体を鍛錬することで自己に向き合う旅を行い、本来の力が発揮できるように変容することなのだという。変容は極私的な行為のなかから始まるということか。身辺というものに、鋭くありたい。