基礎クラス(5/17)は、座禅にはじまり「太陽礼拝(ヨガ)」「プリエ(バレエ)」「膝行(舞踏)」そしてナチュラルなウォーキングで姿勢をさぐり、メディテーションヘ。舞踏クラス(5/13)では、腰の据え方とブラインドモーション(目を閉じて身体の感覚で動く)を経て身体感覚の把握練習へ、ダンスクラス(毎金)は、東京を行き交う人波(僕にはまぶしく映る)をヒントに小作品の振付け開始=カラダでのイメージ解放、オイリュトミー(毎水)では詩の朗読にどっぷり浸りつつ心込めた所作の行い方そしていよいよシュタイナーの自由哲学を・・・。いづれも一言では言い尽くせぬけれど、身体と魂をつなぐ大事な練習に入っている。一つの動きに、どう心込めるか。自分に対する先入観から一歩踏み出すか。心込めればイメージひろがりカラダは答えますから。毎回の練習後はみんな表情が目覚めてキラリとしています。各クラス内容はあらためて詳しく書くとして、僕にとってクラスとはどんな場所か。
カラダを「明るくする」ための道場です。
それは、ひとりひとりが、己自身で「あり尽くせる」場所。こわばりを取り外す場所。身体や心の正直をさぐり受け止めるための場所。遊び場、道場、教会、原っぱ、なんでもよいけれど、「パ~ッと」する場所なのです。ブレーキや鎖を外し、カラダやココロに風を入れ、火をくべる。その処方が、エクササイズや振付けやアドバイスでありたい。ココロとカラダの風通しを良くすることは、生活の充実に必ずつながる。ひとりひとりが活き活きしなければ、家庭も仕事もあらゆるチャンスも生きません。
自己解放、自己認識、謙虚さ、図々しさ、あこがれ、ジレンマ、馬鹿になることあるいは知恵を受けとる器になること、愛について、エロスについて、孤独について、つながりについて・・・。さまざまな感情や思考や渇仰が、僕らの身体には渦巻いている。このことをリアルに受け止め始めたなら、ダンスは始まってゆきます。どんな動作にも、喜び悲しみを込めることができます。器用に動いてみせることではない。真剣に自己と向き合う姿がカラダから溢れ出すのがダンス。ダンスは何よりも、己の深層との対話が身体にあらわれるものですから、気持ち一杯に動いた体験が希望や自身や肯定感を切り開いてゆく。ワークとしての視点です。
「踊り」という視座の中で、からだと付き合ってゆく時、僕らは僕ら自身の存在形式の中に、とても多くの知恵やエネルギーが潜んでいることに開眼せざるを得ません。クラスの方々の身体変化は、意識変化につながっていると感じます。出来ること、出来ないこと、もちろんあります。おもしろいこと、つまらないこと、当然あります。が、それらはすべて光と影のように作用し合い、それぞれ宇宙であるところの存在本質というようなものに結びついてゆく。稽古を重ねれば重ねるほど、ひとりひとりが別人のようになられてゆく。毎回、新鮮に「こんにちは!」と言える。10年以上の試行錯誤の中で、ようやく、そんな関係が、見えてきました。
カラダを「明るくする」ための道場です。
それは、ひとりひとりが、己自身で「あり尽くせる」場所。こわばりを取り外す場所。身体や心の正直をさぐり受け止めるための場所。遊び場、道場、教会、原っぱ、なんでもよいけれど、「パ~ッと」する場所なのです。ブレーキや鎖を外し、カラダやココロに風を入れ、火をくべる。その処方が、エクササイズや振付けやアドバイスでありたい。ココロとカラダの風通しを良くすることは、生活の充実に必ずつながる。ひとりひとりが活き活きしなければ、家庭も仕事もあらゆるチャンスも生きません。
自己解放、自己認識、謙虚さ、図々しさ、あこがれ、ジレンマ、馬鹿になることあるいは知恵を受けとる器になること、愛について、エロスについて、孤独について、つながりについて・・・。さまざまな感情や思考や渇仰が、僕らの身体には渦巻いている。このことをリアルに受け止め始めたなら、ダンスは始まってゆきます。どんな動作にも、喜び悲しみを込めることができます。器用に動いてみせることではない。真剣に自己と向き合う姿がカラダから溢れ出すのがダンス。ダンスは何よりも、己の深層との対話が身体にあらわれるものですから、気持ち一杯に動いた体験が希望や自身や肯定感を切り開いてゆく。ワークとしての視点です。
「踊り」という視座の中で、からだと付き合ってゆく時、僕らは僕ら自身の存在形式の中に、とても多くの知恵やエネルギーが潜んでいることに開眼せざるを得ません。クラスの方々の身体変化は、意識変化につながっていると感じます。出来ること、出来ないこと、もちろんあります。おもしろいこと、つまらないこと、当然あります。が、それらはすべて光と影のように作用し合い、それぞれ宇宙であるところの存在本質というようなものに結びついてゆく。稽古を重ねれば重ねるほど、ひとりひとりが別人のようになられてゆく。毎回、新鮮に「こんにちは!」と言える。10年以上の試行錯誤の中で、ようやく、そんな関係が、見えてきました。