きょうはオイリュトミーのクラスでした。
モーツァルトのソナタ、ピアノの演奏といっしょに心身を解き放つ練習です。
共感するということと自由になるということ、これが調和してオイリュトミーとなります。
このクラスをするたびに思います。

何かを受け止めようとする時
何かに答えようとする時
何かを探し求める時
おのれもまた何かであることに気付く時
それらの「時」を求めて、人は踊りを紡ぐのではないかと。

存在することの無限の感情が、身体の動きだとすれば、
それは、いつも何かしら他者とつながっているはずです。
外なる存在と内なる存在の呼び交し。
それが、いつしか密度を高め、ひとつの響きとして溶け合うとき、
これが、ダンスの生まれる瞬間です。
運動の豊かさ・多様さ
踊りで発揮されるのは、一音一句に対する感動力と落ち着いた知覚だと思います。

身体は、感動をエンジンとして動きます。
ココロやアタマは、司令塔ではなくて、身体のパートナーです。
心の震え、頭の目覚め。に対する物質の共感が、肉体の動き。
感じ入る力が弱いと身体も止まってしまう。

カラダを磨くことは、感じる力を磨くことに等しい・・・。

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