22日の「舞踏クラス」終了後・・・。
部屋が明るくなった。広く感じる。という感想を得た。うれしい。
ダンスは身体本来のヴァイブレーションを恢復する。そのきっかけが踊ることやレッスンによる知覚の変化だ。
自然へのアンテナ、身体の感度、これらは抑圧されて眠っているはず。
本来の感覚をとりもどすには、萎縮した状態からの「ゆるみ」をつかまねばならない。それが舞踏の入門レッスンの主題だ。決め手は、まず腰にある。腰は身体の中心である。中心が定まらないと周りはゆるまない。ゆるまなければ神経は自己にばかりまとわりついて外部に開かない。踊れない。クラスの当面課題は腰。次回のレッスンでは、くわしく話そうと思う。

ところで、この日の練習。
場所とカカワルこと。カマエ。ハイル。ヌケル。
「場所とカカワル」。これは、幼児なんかはいつもやっている。走ったりそろそろ歩いたり回り巡ってみたり。身体の感覚で場所をつかみ、感じ、把握する。そして、戯れる。目で見ていても、自分がいる場所の本質は、わからない。
「カマエ」、始まりの姿勢。身体感覚に集中する状態を、僕はこう呼んでいる。
「ハイル、ヌケル」。イメージに対するアプローチだ。かんたんな振りでも良い。いや、形にでも、運動にでも、気分にでも・・・。想像の何かに、なりきって、そして、きちんとやめる。踊りでも芝居でも、まずこれだ。大事なのは、想像力を疑わないこと。なりきる前に勝手に自己批評しないこと。
たとえばチューリップになる。球根があり、植えられ、根が芽がでて花咲き色彩を生んで枯れてゆく。その有様を活き活きと思い浮かべることが出来るかどうか。
何になっても良いが、明確なビジョンがないと、なれない。良く知っているものを想像することが初歩だと思う。(僕はどんなもの・ことを「知って」きたのだろう?)
形には、芯と周辺がある、勢いがある。形はエネルギーの関係やバランス、動きはその過程である。踊りでは、エネルギーの流れを意識し、カラダに重ね合わせることが初歩となる。踊りは観察につながるのだ。(表現の対象は、観察対象でもある。良く知っているものに身体を当てはめて、はじめて踊りが見える。さまざまなものに変容することが出来る。またその途中を創造することも出来る。)

シュタイナー教育ではエポックという学習法がある。これは踊りの発想に似ている。興味から興味へと枝わかれしてひろがり、最初は無関係であったものを結びつける能力を養うのだが、途中に絵や記述や踊りもふくめて、さまざまな仕方で興味の対象を観察する、時には生産も体験しながら。一度分かたれたものを再び結びつける力は人間の個性につながるという考え方。関係をつくることは、その人独自の世界を構築することでもある。これはアートにも当てはまるのではないか。
次回は星の形をヒントに動く。これは人間の身体とエネルギー放射の関係である。
人体のことを踊りの視点で解説するのもありかもしれない。動いたり、話したりしながら、今年の「舞踏クラス」は少し知的な側面もやってみたい。踊りは多面体だ。『ほびっと村学校・舞踏クラス』、次回の開講は5月13日。お楽しみに!