ダンスクラスは今日も興味深い練習風景でした。いま、あたらしい作品の前段階として、「まわる」動きと「まわす」動きを体験しています。(今日はほかのクラスの人が何人か単発で遊びにきてくれて動きも多様となり、刺激的でした。)

人は何かしら空気をまとっています。まとった空気をまわりに振り蒔きながら動けば、おのれのみならず、まわりも動き始めます。そして、人のまわりにも空気があり、絶えざる運動を繰り返しています。まわりの空気が動くのを感じ、受けとることは、自らの空気を動かす衝動にもつながります。そのような、周囲との交感のうちに繰り広げられるのが「まわす・まわる」という動きです。そこには、ちょうど良い力の入れ方抜き方が発見できるでしょうし、速度の生成も大きく関わってきます。身体技法の上では、やはり軸の認識と強度調節でしょうか。

スパイラルのように、カッシーニ曲線のように、あるいは放物線をえがくように、
からだのどこかをまるく動かすと気持ちがよいのは、感受性が360度に開かれることにもつながるし、関節本来がもっている可動域をフルに解放する心地よさもあるからでしょう。僕らは、前や後や横ななめというふうに、つい平面的・分割的に環境を認識してしまうけれど、実はそれは一種の抑圧で、ほんとうは「まるく」環境に囲まれた「まるい」存在なのではないかしら。踊っていると、そう思えて仕方ありません。ダンスクラスでは、ダイナミックに、そして存分に自己解放してほしいので、ターンや円環運動も乾いたテクニックとしてではなく、それを生み出す必然性や衝動とのつながりのなかで、体験をかさねて身体に入れてゆきたいと思いました。じっくり時間をかけて、爽快なうごきを構築したいと思います。

ところで、おもえば僕ら人間は、お母さんから生まれてくる時も螺旋状にまわりながら生まれてきます。樹々や草花も、その内部には力強い螺旋を築き上げながら光に向かう柱を形成しています。同様、僕らが日常行っている「立ち上がる」という行為も、一見まっすぐですが、そこには無数の微細運動とともに周囲全体に気を配る円環意識が隠されています。これが不十分だと姿勢がひずみ身体がこわばります。しっかり立とうとする時も足裏は磁極線のように大地を感覚しますし、いきいきと歩こうとすれば、膝や足首も球状に周囲を感知します。外的な運動だけでなく、僕らの思考や感情や意志といった精神活動だって、日々の営みや人間関係だって、ゆったりとした螺旋状に展開されてはじめて実を結ぶ結果を導きます。この辺りのことは、火曜日の「ほびっと村学校・舞踏」クラス(2/26分予約受付中)でもくわしく行うことになると思いますので、楽しみにしていて下さい。

各クラス、春期の募集を開始しています。始めやすい時期なので、見学など、ご連絡ください。
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