自ら光となって闇の向こうを見つめることができたなら・・・。

きょうのクラスでは聖夜を経た気持ちから、ハレの気分を振付けさせていただき、全身から光を放つようなイメージを練習しました。踊りによる、一日遅れのクリスマスです。クリスマスやお正月は毎年来ますが、晴れやかな気持ちになって身も心もリセットするための特別な時期だと、僕は思っていて、クラスの練習にも特別なアクセントを加えます。それで一年という大きな生命リズムが動き始めるような気がするのです。

先日ある方が言われました。練習にくるたび、カラダに大事な記憶が積み重ねられるのだと。ダンスを通じて積み重ねられたその記憶が、いつしか生活の基盤の一部になっているのだと。重い言葉です。

身体の記憶。
地上のあらゆる身体は、記憶をたずさえて立っています。そのなかにあって、人間は自ら選んだ体験を記憶してゆく存在です。おのれに刻む記憶として、ダンス体験を選ぶということは、躍動を記憶してゆく、解放を記憶してゆく、力の波を記憶してゆくということになるのでしょうか。いづれでもないとしても、動的なエネルギーが身体の記憶として蓄積されてゆくことは間違いないと思います。常に波打つ海のように・・・。

クラスには、毎週1回から多い人では週3~4回、忙しい人は月1回とか、さまざまな頻度で、さまざまな方が練習に参加されています。社会人としての多忙をかかえつつ踊ってゆかれる姿の輝きには、案内人である僕自身とても力をもらっている気がしてなりません。

大人が、あらためて自分の心身を育てる。カラダを育て直すということは、染み付いてしまった習慣やクセから肉体を解き放つということですが、同時に自己改革にもつながる作業です。苦労も多いのではないでしょうか。にもかかわらず、続けてゆかれる方が多いことに脱帽します。放っておくと、どこまでも増殖して個人を支配してしまいそうな仕事や家事や雑用に「けじめ」をつけて、身体や心に向かい合う時間を確保する。それは、思いやりの実践と思います。自己の心身を思いやることは、他者の心身を思いやる優しさにつながるのではないでしょうか。「働き暮らす」というリズムの中にダンスを加えるというのは、自らの力で自らに活力を補給する、素晴らしい作業だと思います。

踊りは、カラダを通して心を揺さぶる行為です。喜び哀しみを踊ることが、新しい元気へとつながって、個を個として輝かせることができるならと、あらためて思います。まもなく新年。これからのクラスワークが、ますます楽しみです。

新年度クラスメンバー募集は1/5(土)のレッスンより。
あらたな参加をお待ちしています!
クラス参加案内