公演を直前にしつつ、他人の世界は禁じるべきか、それでも観たい。と思って出かけた。
現代これからを担う美術家。
何年も前、ドイツのアーヘンという街で踊りに行ったとき、この人の作品に出会った。
出演する劇場に併設されたギャラリー。そこに、天をつらぬくような巨大なドレスが、あった。
丈10メートルはあろうか、泥まみれのドレスだった。
信用できる行為が、確かにあった。

今回の展示は横浜。
空間を埋め尽くさんばかりに黒糸が張り巡らされ、その核には焼けただれたグランドピアノ、あるいはひとつの灯、あるいは眠れる美女。
別の作品では、住まいの窓ばかり無数。高い壁のようにひたすら積み重ねられ、それが延長されて回廊を成す。すべて旧東ドイツの住居から運ばれた窓とのこと。
これらを前に、意味も意義も、ともかく無粋な解釈はしたくない。
観たまま、心に置いておくのみ。

静かである。

踊りと共通する心情を感じた。

痛みのままに増殖し、狂い咲くままにカタチを出す、何者か、が心の底にあって、その「生み」の力に徒弟のごとく行為を尽くす感情のこぼれとして、ワタシがある。