きょうは、ほびっと村学校で「舞踏」クラスでした。
日曜日のワークショップから一転して、おだやかな畳の稽古場での少人数レッスン。
初めての方、それから妊婦さんも一緒でした。
みんなで輪を囲むように座り、開脚。お尻や膝の裏で、じわっと畳を感じ、その下の大地を呼吸するようなイメージでストレッチ。そして、互いに力を伝え合うような気持ちで、上半身のゆらぎ。
背筋をスッと立ち上げ、胸から腕を天に差しのべて、星や月にあいさつ。
準備運動から、気持ちをこめて動きたいものです。
「舞踏」は、魂の踊りなのだから、カラダを動かす限り、すべて踊りとして・・・。
空気を感じつつ、腕をおろし、さらに方の力をぬき、さらに、さらに、さまざまなイメージをいだきながら、関節をゆっくりと折り曲げて、まるく自身を抱えるような姿。そのカタチを感じながら呼吸を味わう。
イノチとしての自分を観察する体験、いよいよ、本当の基礎タームです。
一枚の写真を見てもらいました。
子どもを宿した、お母様のおなかの写真です。
性別・年齢・体験をこえて、こんなおなかになってみましょう!
この美しい写真は、レナード・ニルソンという写真家が撮った、人間の誕生記録から。
お母様のおなかに始まり、その内部へ。胎内のピンク色の薄闇、胎児のまどろみ、やがて誕生の瞬間、それを見つめる大人のまなざし。この世に生きるだれもが、確かに通ってきた体験の道。
これが、このクラス当面のサブテキストになります。
おかあさんは、新しいイノチをいたわり、そのために自分自身もいたわり、四季を一巡り生きてゆきます。
「私のカラダ、私のイノチは、私だけのものではない」
この、母のマントラこそ、僕ら舞踏家の金科玉条ではないかと思います。
そのような思いから、僕らは、この地上に生まれてきました。
そして、いま、自分の足で大地や夢を、歩いています。
生のひと時を力の限りに踊るのが、舞踏のステージとすれば、
イノチを受け継ぐように生まれ、生活を営んでいるその事実、一日24時間存在した事実をリアライゼーションするのが、舞踏の稽古だと、僕は思っています。その基礎は、「生みだされて、在る」「生かされて、在る」ことを思いながらのカラダの動かし、カラダの確かめ。
ダンスのなかでは、だれもが母であり、父であり、受肉しつつある胎児(未来)であります。
母、父、子。
この3つの存在に、イメージをふくらませて行きつ戻りつしながら、踊りとの出会いを、育ててゆきたいと思います。
日々を生きつなぐ。この現実への深い感動が、新しい一歩を生むのではないでしょうか。
レッスンのあと、参加者みなさんの笑顔がうれしかったです。
今日もありがとうございました。
(次回、舞踏クラスは10/23。明日からの定期クラス=オイリュトミー、ダンス、基礎、それぞれ新タームです。入りやすい時期になりますので、どうぞ遊びに来て下さい!)
クラス新規募集・受講案内
日曜日のワークショップから一転して、おだやかな畳の稽古場での少人数レッスン。
初めての方、それから妊婦さんも一緒でした。
みんなで輪を囲むように座り、開脚。お尻や膝の裏で、じわっと畳を感じ、その下の大地を呼吸するようなイメージでストレッチ。そして、互いに力を伝え合うような気持ちで、上半身のゆらぎ。
背筋をスッと立ち上げ、胸から腕を天に差しのべて、星や月にあいさつ。
準備運動から、気持ちをこめて動きたいものです。
「舞踏」は、魂の踊りなのだから、カラダを動かす限り、すべて踊りとして・・・。
空気を感じつつ、腕をおろし、さらに方の力をぬき、さらに、さらに、さまざまなイメージをいだきながら、関節をゆっくりと折り曲げて、まるく自身を抱えるような姿。そのカタチを感じながら呼吸を味わう。
イノチとしての自分を観察する体験、いよいよ、本当の基礎タームです。
一枚の写真を見てもらいました。
子どもを宿した、お母様のおなかの写真です。
性別・年齢・体験をこえて、こんなおなかになってみましょう!
この美しい写真は、レナード・ニルソンという写真家が撮った、人間の誕生記録から。
お母様のおなかに始まり、その内部へ。胎内のピンク色の薄闇、胎児のまどろみ、やがて誕生の瞬間、それを見つめる大人のまなざし。この世に生きるだれもが、確かに通ってきた体験の道。
これが、このクラス当面のサブテキストになります。
おかあさんは、新しいイノチをいたわり、そのために自分自身もいたわり、四季を一巡り生きてゆきます。
「私のカラダ、私のイノチは、私だけのものではない」
この、母のマントラこそ、僕ら舞踏家の金科玉条ではないかと思います。
そのような思いから、僕らは、この地上に生まれてきました。
そして、いま、自分の足で大地や夢を、歩いています。
生のひと時を力の限りに踊るのが、舞踏のステージとすれば、
イノチを受け継ぐように生まれ、生活を営んでいるその事実、一日24時間存在した事実をリアライゼーションするのが、舞踏の稽古だと、僕は思っています。その基礎は、「生みだされて、在る」「生かされて、在る」ことを思いながらのカラダの動かし、カラダの確かめ。
ダンスのなかでは、だれもが母であり、父であり、受肉しつつある胎児(未来)であります。
母、父、子。
この3つの存在に、イメージをふくらませて行きつ戻りつしながら、踊りとの出会いを、育ててゆきたいと思います。
日々を生きつなぐ。この現実への深い感動が、新しい一歩を生むのではないでしょうか。
レッスンのあと、参加者みなさんの笑顔がうれしかったです。
今日もありがとうございました。
(次回、舞踏クラスは10/23。明日からの定期クラス=オイリュトミー、ダンス、基礎、それぞれ新タームです。入りやすい時期になりますので、どうぞ遊びに来て下さい!)
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