櫻井郁也/十字舎房ポルトガル公演報告
第四章「ファロ公演~地の果てにあった懐かしさ」(1)

ポルトガル最南部に位置するファロ市。強烈な陽射しを反射する白い街です。
この秋、ヨーロッパでありながらイスラムの香りただよう、この土地で、ワークショップを行いながら、僕らはツアー最終日に行われる公演の準備を進めていました。この章は、ワークショップ最終日を経て、公演までの話題です。

【一輪の花】
10月7日。ワークショップ最終日は、思い出に残る始まり方でした。
開始前のフロア中央に、一輪の花がポンと置かれているのです!
この土地に来て、何度となく見て来た、大きなブーゲンビリアの花。
漆黒のダンスマットに横たわる、柔らかなピンクの花を見つめながら、参加者たちが静寂を楽しむように、この数日間で稽古した呼吸法を行っています。
「ありがとう・・・」
心の中にわき起る喜びをかみしめながら、開始のドラを鳴らしました。
その響きにこだまするように、穏やかな動きが始まります。

まず、その日の自分の感覚で動き始める。その動きに対して、僕が課題を出し、全体を方向づけていく。そんな方法が、この6日間で、すっかり定着していました。
この日、一人一人の動きは、穏やかながら実に積極的です。
僕は、動きを見つめながら、フロアの花を振付席へと移しました。
人々は、その花に視線を注ぎながら踊っています。その視線が実に、やさしく、所作は大きい。
「出来てる・・・」
内心、そう思いました。
舞踏は、見せるものである以前に捧げるものであり、表現以前に問いかけなのだ、と言うつもりでしたが、その必要は無いようです。

そのまま続けて!僕も入るから・・・。

特別な課題は不要と感じました。とにかく、今日は踊れるだけ踊ってもらおう。
最後の日は、自分の中からイメージを出し、課題を見つけてもらうことが大事だ。
そう思いました。

「ハッ!」「ィヤーッ」・・・。合いの手を入れながら、音楽やドラ、そして身振りを入れていきますと、どんどん出てきます。脊柱がうねり、だったんを踏み、震え、一本足で立ち。
エネルギッシュな魂振り(タマフリ)の現場だったと思います。

踊りが絶えることないままに、いつしか1時間半。勇気を持って、僕は終了のドラを鳴らしました。
響きのなかで、全員が動きを停止。激しい呼吸が穏やかになり、笑顔が浮かぶまで、じっとその場に佇んで・・・。
ワークショップの全行程は、終わりました。
振付席に置いたブーゲンビリアの花を再び手に持ち、僕はフロアの中央へ。
花は、ただ無心に咲いています。
無言のうちに、みんなで、その美しさをたたえあいました。

この6日間、徹して来た事は、まず身をさらすこと。
大事な人にでも良い、信じる神にでも良い。まず何者かに対して「現在そのままの身体」をさらけ出す。無防備。そこからでないと、踊りは始まらない。イメージは後からついてくる、ということでした。

原初でもなく、未来でもなく、ただこの現在であろうとすること。
それは懸命に生きている己の姿を掛け値なしに見つめようとする態度であり、全的に他者の視線を受け入れようとする「踊り」の始発点である、ということを感じ取ってもらえたと思います。(つづく)