「踏む」という行為に、こだわっています。
毎朝、僕らは夢の世界から、この現実の世界に舞い降ります。
そして地面を踏みつつ、それぞれの生活を営んでいます。
なかなか意識する事はないかもしれないのですが、本当は、一歩一歩に何かを感じていると思うのです。
そんな思いから、このクラスでは一つのワークが生まれつつあります。
その日、集まったメンバー同士が向かい合い、お互いの気配を感じ取りながら稽古場の床をみんなで踏みしめていく。
一歩一歩の足取りから感じ取ったエネルギーを全身に伝え、表情や身振りに顕しながら、一体感を味わっていく。
という内容です。
コンセプトは単純ですし、床を踏むという行為そのものは経験を問わずにできるものです。
しかし、僕なりのオペレーションを与えながら進行するうち、単純な行為の中から、一人一人の個性があふれ出てくるようになり、さまざまな思いが交差する「場」が出来上がってくる事がわかってきました。
「踏む」という行為は、だれもがやっていることだけれど、その一歩一歩の中で湧き上がる心の動きは全く多様であり、したがって一歩の足運びや、そこから現れる全身の表情は、とてもプライベートなものです。
そこに意識を配り、ていねいに集中して行っていくと、一歩一歩の足踏みが非常に豊かなニュアンスを持ち始め、ことばを介さないがゆえの独特のコミュニケーションへと発展していく感じがしてなりません。
「踏む」という行為から、おのれの存在を大地に刻印するような連想がわきおこり、それがハンコを押すような感じだというので、クラスメンバーのひとりが、この練習に「スタンピング」という名前をつけてくれました。
このクラスは、いわば体の実験室です。
ダンスが初めてという方と、長年練習していられる方が全く同じ土俵で自らの身体や周囲で興る出来事に集中して汗を流し、表情が変化していく時間の流れを見つめながら、ダンスというものの自由さと平等さを感じる事が多々あります。
練習を続けながら、お互い、器用さを獲得する場所ではなく、ひとりひとりが携えている肉体を大事にし、そこから生まれる動きを愛おしんでいいくことが目標であることが見え始めています。
そのためには、普遍性よりも多様さを大事にしようとする態度、技術上の甲乙や既成の美学を問題にしない、個体を重視した踊り方を「共に」探していきたいと思っています。次回も良い練習となりますように!
クラス紹介&参加方法
毎朝、僕らは夢の世界から、この現実の世界に舞い降ります。
そして地面を踏みつつ、それぞれの生活を営んでいます。
なかなか意識する事はないかもしれないのですが、本当は、一歩一歩に何かを感じていると思うのです。
そんな思いから、このクラスでは一つのワークが生まれつつあります。
その日、集まったメンバー同士が向かい合い、お互いの気配を感じ取りながら稽古場の床をみんなで踏みしめていく。
一歩一歩の足取りから感じ取ったエネルギーを全身に伝え、表情や身振りに顕しながら、一体感を味わっていく。
という内容です。
コンセプトは単純ですし、床を踏むという行為そのものは経験を問わずにできるものです。
しかし、僕なりのオペレーションを与えながら進行するうち、単純な行為の中から、一人一人の個性があふれ出てくるようになり、さまざまな思いが交差する「場」が出来上がってくる事がわかってきました。
「踏む」という行為は、だれもがやっていることだけれど、その一歩一歩の中で湧き上がる心の動きは全く多様であり、したがって一歩の足運びや、そこから現れる全身の表情は、とてもプライベートなものです。
そこに意識を配り、ていねいに集中して行っていくと、一歩一歩の足踏みが非常に豊かなニュアンスを持ち始め、ことばを介さないがゆえの独特のコミュニケーションへと発展していく感じがしてなりません。
「踏む」という行為から、おのれの存在を大地に刻印するような連想がわきおこり、それがハンコを押すような感じだというので、クラスメンバーのひとりが、この練習に「スタンピング」という名前をつけてくれました。
このクラスは、いわば体の実験室です。
ダンスが初めてという方と、長年練習していられる方が全く同じ土俵で自らの身体や周囲で興る出来事に集中して汗を流し、表情が変化していく時間の流れを見つめながら、ダンスというものの自由さと平等さを感じる事が多々あります。
練習を続けながら、お互い、器用さを獲得する場所ではなく、ひとりひとりが携えている肉体を大事にし、そこから生まれる動きを愛おしんでいいくことが目標であることが見え始めています。
そのためには、普遍性よりも多様さを大事にしようとする態度、技術上の甲乙や既成の美学を問題にしない、個体を重視した踊り方を「共に」探していきたいと思っています。次回も良い練習となりますように!
クラス紹介&参加方法