イマを信じて一歩を!
今日の練習は大部分を「ハコビ」ということに費やしました。
基礎クラスで行っている丹田集中法から体軸の確認作業をへて、ウォーキングヘ。そして、下半身を最大限に使って空間を横断する練習です。呼吸のリズムからカウントへ、さらに音楽のリズムやフレーズを、大きな足運びで「つかまえて」いきます。
音楽はアヴァンギャルド・ロックの代表格ともいえる、ヴェルベット・アンダーグラウンドの強烈な響き。

身体的には骨盤開閉・股関節・ひざ・爪先といった下半身の隅々まで神経を配り、上半身は静かに維持。ただし、下半身から伝わる力は押さえつけず、むしろ自然に反映されるがままに・・・。
ことばにすると単純ですが、集中すると、これがダンスにつながっていくから不思議です。

ある意味、最低限の振りつけだけに、踊り手の意識や気持ちは、かえってハッキリと見えてきます。
反復練習や技術的な考察のつもりでやってしまうと、顔が曇ったりしかめっつらになったり、からだもこわばってしまい美しく動く事が出来なくなってしまいます。逆に、音楽や自ずからの動きの瞬間瞬間に感受されるものを最大限に体験しようとすると、単純な動きだからこそ、豊かで強度のある姿がみえてきます。実際、何度もやるうち、出席者の目がどんどん深くなりエネルギーがあらわに。そして時間はたち、いつのまにか踊りの香りが・・・。

そんななかで、繰り返し強調したのは、ひとことでいうと「信じよう!」ということ。
己の内側に正直に。その現れ(動き)にたいして疑いの目を向けずに・・・。
そのためのガイドラインとして、提案したのは以下の3点でした。

第1に「うつくしさ」と「上手である」ことは、まるで違うということの確認。その一歩に最大限のエネルギーと心情をかけようという努力が、身体のフォルムをかたち作り、そこに美や夢がやどるのであって、決してからだの器用さが重要ではない、ということ。でも、それは妥協ではなく、潜在的にもちうる能力は充分に引き出す努力が必要と思います。(それが稽古なわけですが・・・)

第2に、みだりに他人と揃えようとしない!ということ。心身の差異をきちんと受け入れることから、変容は始まるわけで、
自らの動きに納得がいかぬまま他人と揃えようとしてしまうことは、己の心身をないがしろにしてしまう事にもつながりかねない、と僕は思います。からだはじわじわとしか変化しないので、あせらず気長に。己の持てる体のテンポを信じてあげる。もちろん、ダンスには、美しくそろった動きに魅了される事があります。ユニゾンって言うんだそうですが、あれは互いに(uni)響き合った(son)結果として揃っているから美しいわけで、すごい共同作業の成果なんですよね。少しでも強引に揃えたり習慣的にやると、個の顔が見えない「組織的」なものになってしまいます。何人かで同じ動きをしていても、ちゃんと自分の顔をもたねば哀しいですよね・・・。

そして第3に、掛け値なしにやる、ということ。これをやって、こうしようああしよう、なんてことになると、何もかもが不確かなものへの準備にすぎなくなってしまいますので、一瞬一瞬にきちんと「けりをつける」覚悟でやるわけです。練習即本番、という心持ちがあってこそ、ダンスはダンスたりうるのだと思いますし、練習を通じて色んなもの・ことへの愛情が育まれるのだと思います。もちろん、少々大変ですが・・・。

あっ、書いてみて気がついたのですが、これらのこと、他のクラスでも僕はよく言っているかもしれません。そして自分自身にも心の中で言っているかも・・・。

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