ひかりを呼吸するように

今月22~23日にかけて行うソロ公演の話題、二回目です。ちょうど、今回第一部で上演する作品「タルメス」を構想していた頃、稽古しながら自分の体を見つめるうち、僕の気持ちが体に伝わっていると言うより、体の動きから心に響いてくる不思議な感情をいだいていました。この体は一体何によって動いているのだろう、もしかすると、これは私という感覚と共存する、独自の生き物なのではないかしら、昔どこかで別々の生活を営んでいた存在が、結びついて「からだ」になり、この自我に寄り添ってきてくれているのかしら、などと思っていました。

僕らの肉体は、天地を結ぶように屹立した柱のようです。それは又、水平に移動しながら、天地に分離した、あらゆるものごとを再び結び合わせようとしているかのように波打ちながら呼吸しています。(タルメス:tarmesとはラテン語で柱という意味です)

丁度その頃は、ワーク的にも呼吸法の見直しをしていた時分でした。呼吸のコントロールによって、体調や気持ちの変化が如実に感じられたり、半年あまりかかってシュタイナーのオカルト生理学の読み直しが、ようやく第一章半ばあたりまでさしかかり、血と自我のかかわりについても興味が改まってきていました。

また、昨年の公演の後、庭に植えた小さな木の生長を見つめながら、小学生の頃教わった「植物は光を呼吸して育つ」という話を思い出したりして、生き物を包む、空気や光(それは惑星の呼吸かもしれないのですが・・・)というものに気持ちが近づき始め、僕らは呼吸の中ですごく色んなものとコミュニケートしているのかもしれないという予感がしていました。

空気は単に気体であるだけでなく、そこにはさまざまな光が溶け込んでいます。それから、色んな人の呼気とともに色々な感情の残照が溶け込んでいます。とすれば、それを杖として存在しているものは皆、空気と共に、光や他者の心の明暗を吸いこみ、なにかしら別の輝きとして再び外の世界に流し出しているのかもしれない、なんて思うのです。それから、もしも空気がなかったとしたらどうなるのだろうか。それでも僕らは呼吸をするのだろうか、もしするとしたら一体何を呼吸しようとするのかしら、なんていうことも・・・。

いままで踊りの練習をしながら、一番多く聞いた言葉は「イキを合わせましょう」というものでした。実際いろんなものとイキを合わせていきたいです。果ては無機質な金属やガラスとでさえ。でも、そうするためには、まず自分自身が「イキ」をしていなければならない。ただ生物学的にではなく何処までも深い実感の中で。その道しるべはどこにあるのでしょうか。

「真空断層」第一部での上演作品「タルメス」は短い作品ですが、これを練習しながら、作品をつくる、それは答えを出すことや思いを告白することとは遠く、むしろ、全く新たな「問い」を見つけていくことに近いのかもしれないし、視線とコラボレートする公演の場というのは、やはり一つの空気を共にしながら、何か新たな対話のベクトルを模索する場でありたいという感じがしてなりません。


公演日時:11/22(火)20:00、
11/23(祝・水)15:00 
中野planB

前売2200円、予約2500円、当日2800円
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