10/1のオープンワークショップ&ショーイング、おかげさまで無事終了しました。当日は、大勢の、そして10代から60代の幅広い方々にご参加いただき、感謝しております。

オイリュトミーについて、ダンスについて、なんらかの解説をと思って準備していたものの、スタート時間前に、すでに場内は「うごく」雰囲気。それを感じて、僕も路線変更の意を決し、即座にワークをスタートしてしまいました。開始後まもなく行った、オイリュトミーの基本姿勢「光の柱」では、40名近い方々の凛とした立ち姿と、水を打ったような会場の静けさに、そして、いくつかのワークや練習発表をへて、終盤40分あまり、参加者全員が即興で踊り続けた熱のひろがりには、僕自身、雷にうたれたような感銘を受けました。具体的な様式の定まったオイリュトミーのワークから、型にはまらない現代ダンスの動きへの移行は、あまりにも自然で、実際、僕はほとんど何の説明も行わず、詩の朗読やピアノ演奏ばかりしていました。定期クラスの方のショーイングが、さまざまなことを伝えきってくれたのかもしれません。シュタイナーとは別人ですが、「努力をこえてしまうような努力」に向かう力が、人間の奥底に眠っており、何らかのきっかけで、それが目覚める一瞬がある。という趣向の事を行っている人がいるそうです。「G」の敬称でたたえられるこの人物のことばを、クラスの方の発表で僕は感じていました。今日もダンスクラスがあったのですが、その稽古中に、ダンスはすべてが一生一度の体験、たった一回しかできないことと思うからこそ思い切り踊れるんだと言ったひとがありました。全くその通りだと思います。WSの当日も、初心者の方がかなりの数いらしたのですが、ラストの即興練習でそういった方々が、己の身からこぼれ出るジェスチャーや運動をいとおしむように、大事にしながら、また見学の方々の視線から受け取ることができる緊張と畏れの気持ちを肉体の熱にシフトさせていく感じは、まさに一回限りの身振りに対する出会いと惜別の風景であり、ダンスの原点を感じさせるようなイメージに満ちて、いつまでもこのまま時が流れてほしいと思ってしまうような貴重な時間だったと思います。
そして、お別れは、始まりと同じ「光の柱」。「光の柱」とは、自らの脊柱から脳にいたる成長のエネルギーをゆるみと緊張のシンプルなエクササイズのうちに感じ取ろうとする、動的なメディテーションです。オイリュトミーに限らず、全ての舞踊に共通する、最もシンプルでありながら奥の深い、何度やっても新しい体験がもたらされる練習だと思います。ヨガにおける太陽礼拝に匹敵する秘儀性を秘めているのではないでしょうか。生きとし生けるもの全てに宿る「光」の所在を求め続けた、ルドルフ・シュタイナーの思索や願いの基礎が、この練習には込められているような気がしてなりません。

今、そんな体験から数日がたち、クラスがいつものように始まっています。ふたたび少人数のグループにわかれ、それぞれの稽古にもどって、新しいメンバーの訪れを待っています。稽古のはじめは、やはり「光の柱」。天地をむすんでキリリと立つ事、
動きの中で、職業や経験を超えて踊る。いろんな事をわすれ、体とタイトに過ごす2時間が、とても贅沢に輝いています。


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