『学び手の内部にある時突然認識の光が点じられる。あとは、その光自身が自己成長を遂げる。(プラトン第7書簡)』
これは、6月さいごの基礎クラスをナビゲートしていて、ふと、思い出した言葉です。
クラスのメニューは、「基礎」ということにこだわり、極めてシンプル。誰でもがチャレンジできる、そして、ポイントが見つかるたびに、深く、ハードに取り組むことだってできるよう、運動をチョイスしています。
しかし、シンプルなエクササイズだからこそ、ハッキリと見えてくるものがあります。それは、
「体が立ち上がってくる」プロセスです。
クラスでは、約2時間の間、規則的な呼吸音が響き続けています。僕も、このクラスでは、動きの指示以外はあまり沢山話さないで、からだの状態を観察しながら呼吸のペースをつくることに集中しています。動きをこなすことが基礎ではありません。動く喜びを定着することが基礎だと考えます。中でも、僕が大事にしているのは、体と対話する喜びです。
そのためには、何よりも、動きながら耳を澄まし続けることが大事だと思います。その入り口が、自らの呼吸音です。呼吸に耳を澄ますと、いろんなものが心の中に見えてきますよね。それが運動と調和するとき、何とも言えない落ち着いた喜びが表れるんだと思うんです。
実際、クラスの最初に流れる、張りつめた緊張感が、動きの反復の中で、次第にほぐれながら、規則的な呼吸音のひびきとともに、熱を帯びていく様子は、独特です。
自らの呼吸が、自らの動きに、そして、他の人の呼吸に、調和していくなかで、気が付くと、流れる汗と一緒に一週間の何もかもが洗い流されたような、すがすがしい体が、スッと立っている瞬間があらわれる、そんな瞬間、かすかに、メンタルとボディの交感が、あるいは、一種のシンクロニシティが、感じられるのです。その感じが、内的な光の成長という、プラトンのイマジネーションに結びついたのかもしれません。
身体のエクササイズは、必ず精神的な変化に結びつくと、僕は感じてきました。それは、一種の純粋思考であり、言葉とは別の角度からの自己認識/宇宙認識につながっているような感があります。
今日は、いきなり、プラトンの登場でびっくりされたかもしれませんが、実際、ダンスは哲学の源流と、とても深い関係があるそうです。手塚治虫さんも『火の鳥』のなかで描いておられますが、古来、私たちの祖先は書物には表しきれないさまざまな知恵、とりわけ直感によって獲得された認識を身振りや音楽に託して保存してきたと言われています。
フラやスパニッシュ、私たちになじみの深いクラシック・バレエなんかも、あの独特のポジションやパ(型)は長い知恵の歴史そのものが結晶したものだそうで、ユング心理学者のゲルハルト・ツァハリアスは、ダンスを「世俗化された秘儀」ととらえ、ダンスの発展は宇宙の肉体化のプロセスだ、と言い切ってしまったほど。
なんだか、とても大きなテーマですが、僕ら一人一人の体が、「小さな宇宙」だとすれば、ダンスって、その宇宙を旅する一つの方法なのかもしれませんね!!
これは、6月さいごの基礎クラスをナビゲートしていて、ふと、思い出した言葉です。
クラスのメニューは、「基礎」ということにこだわり、極めてシンプル。誰でもがチャレンジできる、そして、ポイントが見つかるたびに、深く、ハードに取り組むことだってできるよう、運動をチョイスしています。
しかし、シンプルなエクササイズだからこそ、ハッキリと見えてくるものがあります。それは、
「体が立ち上がってくる」プロセスです。
クラスでは、約2時間の間、規則的な呼吸音が響き続けています。僕も、このクラスでは、動きの指示以外はあまり沢山話さないで、からだの状態を観察しながら呼吸のペースをつくることに集中しています。動きをこなすことが基礎ではありません。動く喜びを定着することが基礎だと考えます。中でも、僕が大事にしているのは、体と対話する喜びです。
そのためには、何よりも、動きながら耳を澄まし続けることが大事だと思います。その入り口が、自らの呼吸音です。呼吸に耳を澄ますと、いろんなものが心の中に見えてきますよね。それが運動と調和するとき、何とも言えない落ち着いた喜びが表れるんだと思うんです。
実際、クラスの最初に流れる、張りつめた緊張感が、動きの反復の中で、次第にほぐれながら、規則的な呼吸音のひびきとともに、熱を帯びていく様子は、独特です。
自らの呼吸が、自らの動きに、そして、他の人の呼吸に、調和していくなかで、気が付くと、流れる汗と一緒に一週間の何もかもが洗い流されたような、すがすがしい体が、スッと立っている瞬間があらわれる、そんな瞬間、かすかに、メンタルとボディの交感が、あるいは、一種のシンクロニシティが、感じられるのです。その感じが、内的な光の成長という、プラトンのイマジネーションに結びついたのかもしれません。
身体のエクササイズは、必ず精神的な変化に結びつくと、僕は感じてきました。それは、一種の純粋思考であり、言葉とは別の角度からの自己認識/宇宙認識につながっているような感があります。
今日は、いきなり、プラトンの登場でびっくりされたかもしれませんが、実際、ダンスは哲学の源流と、とても深い関係があるそうです。手塚治虫さんも『火の鳥』のなかで描いておられますが、古来、私たちの祖先は書物には表しきれないさまざまな知恵、とりわけ直感によって獲得された認識を身振りや音楽に託して保存してきたと言われています。
フラやスパニッシュ、私たちになじみの深いクラシック・バレエなんかも、あの独特のポジションやパ(型)は長い知恵の歴史そのものが結晶したものだそうで、ユング心理学者のゲルハルト・ツァハリアスは、ダンスを「世俗化された秘儀」ととらえ、ダンスの発展は宇宙の肉体化のプロセスだ、と言い切ってしまったほど。
なんだか、とても大きなテーマですが、僕ら一人一人の体が、「小さな宇宙」だとすれば、ダンスって、その宇宙を旅する一つの方法なのかもしれませんね!!