零年 | 狂い咲きトスバッティング

零年

今日はお通夜だ。

両親だけ参加

俺は家にいた。


「北の零年」みた。

すげー長い。

今日、これ見ただけで終わってしまった。

吉永小百合が演じていた器のでかい女性と結婚したいものです。

これ言うとネタばれですが、渡辺謙がダメな男でした。

とよ悦がかっこよかった、でも存在がヒーロー的でうやむやな存在だった。

アイヌとかとの差別を描くかと思ったけど違った。

時代の流れに翻弄されながら、0の状態から生み出してゆく強さがありました。

吉永小百合は、待って裏切られをされすぎなのに、なんてけなげにがんばるんだ。

「きれいな手ですね。ワタシの手はゴツゴツしてしまった。」

印象的でした。

「ええじゃないか」を踊る人々。真似したくなる。

団結する元武士の農民たち、鍬を手に立ち向かう。

いいシーン。

だけど

どうして農民のイメージはいつもこんななんだろう。

ダセーんだよ農民。実際、そうだったんだろうけど。

映画とかでダサい、汚い、貧乏、頭悪いとかのイメージをつけられる農民。

おかげで、現在生きる農家までそんなイメージついちゃうじゃん。

農家に生まれた私としては、そのイメージの悪さがコンプレックスであったりもします。

俺だったらフェラーリの耕運機とかで、もてる農業を目指したいです。

果たしてフェラーリの耕運機って言うのはもてるのでしょうか?

言ってみたものの自信ありません。

電通とかオシャレイメージのある仕事がもてはやされて、かたや野菜作るのは笑いものですよ。

職業でランク付けされるじだいってのもつまらんものだと思います。

いつかイメージが変わればいいな。

フェラーリの耕運機、グッチの鍬、・・・・イラネー。やっぱ。



泥臭く、かっこ悪くても、そこに強さがあれば幸せなんだ。

この映画にはありました。



月曜日、学校にいったら、ブログ読んでるであろう友人たちがちょっとした励ましをしてくれた気がした。

そうではないとしても元気が出た。

死んでかわいそうとか、元気出せとか、そんな言葉じゃなくて、

ちょっとした一言のなかにあるあったかい感じというか、

もっとさりげない空気みたいなの。



ありがとう。






というか、このブログ。重いこと書きすぎてます。

スマン。


    

飲み会を開くことにした。忘年会。

無差別に誘っていて、メンバーはわけの分からない感じになるであろう。

すでに未知数。