5時7分 | 狂い咲きトスバッティング

5時7分

帰ってきた。


秩父市立病院


エレベーターで父親と並ぶと、背が俺のほうが高いことに気付く。

危篤だと知っていても実感がないのでそんな余裕が不謹慎にもある。

病室に着いたときには、じいちゃんは酸素マスクをしていた。


俺の存在に気付いていたのかどうかは分からない。

左目が半開きで寝ているような感じだった。

その半開きの目の中の黒目が俺のほうに向いている。

その目はまっすぐで、なんだかその視線の先にいるのがいたたまれなくて場所を変える

俺に気付いてくれているのだろうか。

親に促され、手を握る。

しわくちゃの手。

わずかな温かさ


心電図がドラマみたいに数字を刻んでいる

何も言葉が出てこない

もう助かる見込みはないと言われていた

オヤジが祖父ちゃんの肩をゆすり

「カズがきたぞ。じいさん、みんな来てくれたぞ」

無理して笑顔で祖父ちゃんに言う親父。

クソオヤジめ、泣きたいのに無理しやがって

言葉が出ない


確かに生きている祖父ちゃん、目の前で生きている。

だから、死んじゃうなんていう感覚が分からない。

だから、涙が出ない

妹は祖父ちゃんの姿見ただけで泣いてたのに


いつも秩父の実家に帰ると「よくきたな」って喜んでくれた。


からくりテレビのご長寿クイズに出たね。


お年玉をくれた。


銀婚式か何かでは俺がカメラマンで祖母ちゃんと祖父ちゃんを撮ったんだ。


高校や大学決まったときも喜んでくれた。


思い出を思い返すと、ようやく涙腺が反応し始める

あまり泣くのはやめようとおもって、思い返すのをやめる

オヤジや母ちゃんや叔父さん叔母さんが

じいちゃんに声をかける

俺の握る手はもう動かない

ただわずかな温もりを俺の手の熱で温める

指先はもう冷たく、俺の熱も深い冷たさに吸収される


他の親戚とかもいたので一旦部屋を出る。

これから死を迎える人がいる、

でも俺は何もできない


漫画が置いてあるので読むことにした

ゴーマニズム宣言なんか読んでも

どうでもいい、黙れ

とか想いながらページをめくる。


悲しいとか悔しいとか泣きたいとかじゃない

もちろんその全部を思っているが

実感がないんだ

他の親族に申し訳ないほど心は無反応で

死を受け入れられていなかったのかもしれない

言葉が出ない

祖父ちゃんよりも叔父さんやオヤジの心が心配だった

一番つらいのは親が死ぬときだろうから



また病室に戻ると

様態は悪化していた

皆が見守る。

心拍数は乱れていた

オカンが足をさすったりしていた

あんま、揺らすな。と注意したら

オカンの目に涙が浮かんでいた

また言葉が出ない


今日、12月11日はオカンとオヤジが結婚して25周年だった。

オカンが

「お祖父ちゃんは命日忘れないように記念日になくなるのかもね」

とか言う。

今日が親の結婚記念日だったことなんて全く知らなかった。

おめでとう

そんな日にオヤジは無理をしている。

祖母ちゃんが死んだときもそうだったが

俺らの前では落ち込んでる様子を見せない。


心拍数の機械が電子音を変える

波打っていたものが消える

目の前の祖父ちゃんの姿は何も変わらず

ただ

呼吸が止まる

心拍数だけが動く

見つめる


動かない。

全部動かなくなった。

静かに










ロビーで叔父さんが葬儀屋に電話をかけている。

俺と妹はお茶を買いに行かされる。

エレベーターを降りると、さっきまで神妙な面持ちで祖父ちゃんのなくなった時間を読んだ主治医が

帰る後輩を見送り、笑顔をもらす。俺の存在に気付き笑顔を消す。

医者も悲しい仕事だな。


祖父ちゃんの兄弟の人が、もう帰るっていうんで

点滴とかそういうのをはずした祖父ちゃんの枕元でサヨナラの挨拶をする。


「おつかれさま」


肩も声も震わせ、一気に弾けた様に感情が塊になって飛び出たようだ

それはその場にいた人みんなの心を揺るがす

ゾクッと背筋に衝撃が走る

そして実感する。

祖父ちゃんは亡くなってしまった。

目の前にあった「人」の体が、モノのように動かなくなってしまった。


「よくきたな」


家を訪ねるといつもあったはずの光景

もう聞くことができない声、見ることのできない喜んだ顔


哲学的な考えとか、宗教とか、科学とか

そんなのが全く通用しないリアリティ

さっきまでいた人がいなくなる事実


帰りのバスで

卒業旅行はどこに行こうかなんて考えた。

不謹慎な自分が不安になった

祖父ちゃんのことで頭がいっぱいなようではない

きっとまだ実感がないってことなんだろう

一緒に住んでなかったからかも知れないが、喪失感が断片的だ。

無理もない

当たり前のように存在していた祖父がいない

この現実と悲しみは半日じゃ受け止められないし

今日、泣き明かしたところで弔いにはならない

もっと時間をかけて、受け入れてゆくし、悲しむのだろう。


この死を形容できる言葉なんて存在しないだろうから

今の気持ちがどうだったかとか正確には書き留められない。

こんな文章の中に刻めるのなんてほんのちょっとの意識に過ぎない。




オヤジを育てた偉大な男がいなくなった



十七時七分 逝去



御祖父ちゃん


本当にありがとうございました。


ご冥福をお祈りします。



さようなら。