(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した -2ページ目

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

 ボクが中央区の日本橋小伝馬町に株式会社ジャスト・プランニングを起こして15年目に差し掛かっている。別に、会社として儲けがあるとかそういうものではなく、何とか維持しているというもなのだけれども、それでもここまで継続出来てはいるのだ。

 この会社そのものは、ボクの強い意志でやろうとしたものではなく、以前にボクが所属していた編集制作会社が経営不振となり倒産。だけど、業務だけはあるので、何とか継続していかれないかというところから業務を受け継ぐ形で始まったものだった。ボクとしても、フラットの状態で新会社としてならば、自分のしたい仕事は継続して、業務だけ引き継いでいかれれば大丈夫だろうというところから始めたものだった。

会社の入っているビルの近くの龍閑児童公園(ここは千代田区)

 ところが、ふたを開けてみれば現実はそうでもなく、継続業務の利益から、前の会社の未払い分を支払わされることとなってしまった。結局、ボクとしては銀行と信用金庫から借入することとなってのスタートだった。

 仕方ないから、当時は健在だった母親にも事情を説明して、少し出資してもらうこととしたのだった。それらがベースとなって、何とか維持できてきたとも言えようか。

 それでも、当初は実用書の編集制作などという仕事もまだ依頼もあった。それに、ボクの執筆も加えて、何とか仕事を回していかれていた。それに、ボクの以前からの付き合いのあった日刊スポーツ出版社やイースト・プレスなども元気で、執筆依頼もコンスタントにあった。

かつての共同ビルがあったところは、今は工事中

 そんなこんなで、15年目に差し掛かっているのだけれども、古くからの付き合いのあった出版社の編集者も顔ぶれがすっかり替わってしまい、正直、仕事そのものも減少してきている事実は否めない。また、当時はいろんな人が会社に顔を出してくれて、企画検討しようという名目で、ショーもない雑談をしたり酒を飲んだりもしていた。そんな時代もあったけれども、今は、そんな機会もすっかり少なくなってしまっている。

 時は移ろい幾星霜、と言うほどのものでもないが、ボク自身も古希が近くなってきている。かつてのような無理や無茶もできなくなってきているのも確かだ。

 そして、事務所も12年間いた日本橋小伝馬町の共同ビルが取り壊されて、そこから200mほど移動して、今の松井ビルへ移ったのがコロナ禍明けの2023年。住所も小伝馬町から馬喰町になったのだけれども、電話等は変更せずにすんだ(もっとも、その条件で探していたのだけれども…)。

手前から二つ目が松井ビル

 こちらは中央区だけれども、通りを挟んで向かいは千代田区というところだ。

 このあたりのいいところというか住所の特徴は日本橋小伝馬町とか日本橋馬喰町と言うように頭に「日本橋」とつくところだ。そうすると、何だか江戸文化を継承しながら、東京の中枢に位置しているような、気分になれるのも嬉しい。

 まぁ、どうでもいいことではあるけれども…(苦笑)。

 そして、この15年の間には共同ビルだけではなく、周辺のビルや飲食店もかなり様変わりしてきている。最近はほとんど界隈で呑むこともなくなってしまったけれども、当初は、帰り際にちょっと飲んでいこうかとか、わざわざ飲みに行くために会社を訪ねてくるヤツもいた。そんなことさえも、今では懐かしいなぁという気がする。

まあ、こんな感じで仕事のようなことをしています(窓際です…(笑))

 周囲の景色もすっかり変わってしまうと、以前のことを思い出して、ちょっと懐かしく思えたりもする。その当時の、まだまだガツガツした気持ちや「何かをやってやろう」という意欲があった自分を愛おしくも思えてしまう。

 変わりゆく周辺の景色などを見つめながら、ふと、そんな気持ちになることもあるのだ。う~~ん、やっぱり、年取ったのかなぁとも思わざるを得ない(苦笑)。(#^.^#)。