バーチャルリアリティーというか仮想現実という言葉が社会で用いられるようになって久しい。今の時代のデジタル環境やIT文明の発達発展は、目まぐるしいものがある。ボク自身はそれが便利だとも、思ったことはないだけれどもね。ただ、少なくとも不可能かなと思われることを実現してくれる手段ではあるようだ。『本心』(石井裕也・監督・脚本/原作=平野啓一郎)は、テクノロジー進化がとんでもなく著しい今の時代にだからこそ、誕生しえた作品だとも言えよう。
最初に映し出されたシーンのカレンダーに令和7年という表記があった。それから1年、主人公の池松壮亮が事故で約1年眠り続けていて、その間にAIテクノロジーが突出して発展していくことになる。だから、彼はほとんど浦島太郎状態になってしまう。
工場の仕事もAIに奪われてしまい、戸惑いつつも、今の自分の立ち位置を理解していく中で、リアルアバターという立場の仕事をしていくことになる。そんな中で、実は、自由死を選択したという自らの母親の「大事な話があるの」という言葉が気になっていた。自由死というのは、死を選択することを告げてそれが認定されると実行されるということになっている世の中で起こりうることである。
彼は、母親の「大事な話」を聞くことなく急逝してしまったことで、言いたかったことをAIを通じて探っていくことを考える。自らも、自分の身体を用いたリアルアバターを行っていくうちにテクノロジーの未知の領域に踏み込んでいくことになる。
果たして、バーチャルフィギア(VF)と言われる、仮想空間の中だけで存在する人物に、本当のその人物の心があるのか…? つまり、その人物の本心を探ることができるのだろうかということなのだけれども、それがそのままタイトルとなっている。
アバターと依頼人、さらにはバーチャルな世界とリアルの世界、その見境が分からなくなってくるということである。それはそうだろう、見ていても果たしてこれはどっちの現実なんだということをしばし思ってしまうこともあったのだから…。
ただ、もし現実にこのような社会が自分の周囲に起きたとしたらどうした対処をしていくのだろうか。そのことも、観ながら考えていた。そういう意味では、映画だけれどもリアルに近い将来には、自分にも起こりえるかもしれないこととして受け止めていた。受け止めてはいたけれども、果たしてそんな社会を望んでいるのか、あるいはそういう時代の到来を好ましいと思うのかというと、やっぱりボクとしては疑問符を打たざるを得ない。
人の心、気持ちなんて言うのは揺れ動くし、定まり切らない。AIの過去の事象の学習だけで決まっていくことではないはずだと思っているからだ。
消化不良ではないけれども、何だか気持ちとしては作品の最終的着地点でも、理解しきれない要素はあったかなと思った。
ヒロインの三吉彩花は役名もそのままだった。モデル出身ということだけれども、ちょっと掴みどころのない役回りとしては合っていたのだろうか。母親の田中裕子は歳とったなぁとは思わせたけれども、リアルとバーチャルのどちらでも不思議な田中裕子らしさをにじませていた。そして『十一人の賊軍』で、正義の武士を演じた仲野大賀が、思わぬ役どころで登場していた。


