第106回全国高校野球地区大会、序盤が過ぎて思うこと | 週刊テヅカジン

週刊テヅカジン

手束仁が語る、週刊webエッセイ

 先月の週末には愛知大会などが開幕した第106回全国高校野球地区大会(何度でもいうけれども、これは地区予選ではない)。7月も2週目となった今週末あたりから、ほぼ全国的に開催されていき、週末には全国では300試合以上が行われているのではないかということになる。

 そんな球児たちの夏の到来。やはり、伝える側の我々もいろんな思いが重なってくる。そうした中で、いわゆるシード校などの強豪校があまり登場しない中で、まずは序盤戦と言ってもいい、7月上旬までの愛知大会と東西東京大会を観戦しての思いである。

刈谷北は、今春は助っ人を借りての大会出場となったが、新入生の加入で、夏はしっかりと単独チームで強豪と互角に戦うことが出来た

 これは、全国的な傾向でもあるのだけれども、ここ何年かは大会参加校の減少傾向は否めない。少子化ということも含めて、高校生そのものが少なくなっているし、多様化が進む中で、野球離れということも言われている。また、中学の部活動の現場そのものが、指導者不足などの要因もあって、野球を選択する生徒も、幼少時代からの英才教育的に野球エリートを目指していく(養成されていく)というコースの一つの到達点としての有力校への丹生が入部ということもある。その一方で、多くの普通の高校生が、部活動の一環としての野球部活動を選択していくという形で、顕著な二極分化は、より進んでいっていると考えられる。

昨夏は合同チームでの戦いを余儀なくされた深川も、

この夏は単独で参加することが出来た

 そうした中でも、ほとんどの高校野球選手が3年の夏を目指して自分を鍛え、チームを作ってきているのである。だから、序盤では力の差もあるカードも少なくないので、大差のコールドゲームということもある。

 それでも、そういう試合も含めて、裾野からの積み重ねがあって、それぞれの頂点があるのだ。さらには、その先の甲子園での戦いがあり、深紅の大優勝旗を目指す戦いとしての全国選手権が存在するのである。

 毎年のことではあるが、ボクとしてはそういう思いで観ている。そして、可能な限り、そんな高校野球の現場をすそ野の大事さも含めて伝えていきたいと思っているのだ。また、先日たちのそんな思いが重なって、高校野球文化としての歴史があり、そこに根付いた今があるのだと思っている。

マウンドに集まる様子も高校野球ならではの光景ともいえる

 プロ注目のドラフト指名候補選手や、有力校の同校だけが高校野球を伝えることではないと思う。はたまた、過剰なまでの家族への感謝やお涙頂戴的な話ばかりでもないだろうとも思っている。

 日々の練習の中で、出来ることをどれだけやってきたのか。そして、それをどう発揮することが出来たのか、それが夏の大会という舞台でのファイナルアンサーではないのかと思っている。