ビートたけしの原作ということでも気になっていた『アナログ』 | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 映画監督としての北野武も好きだが、興味深いビートたけしの原作となっている🎥『アナログ』(タカハタ秀太・監督/港岳彦・脚本)。予告編で知った段階から気になる作品の一つにもなっていた。それに『アナログ』というタイトルも妙に同意出来て、観てみたいと思わせるものだった。現実に、ボク自身も今のデジタル時代のモロモロにいつもイライラしたり、戸惑ったりしているアナログ人間でもある。

 だから、スマホで何でもかんでもやるよりも、手書きだったり、手作りだったり、自分の足で確かめたりすることをよしとしているのだ。まあ、昭和人間なんだから、それも致し方あるまいと思っているのだけれども…(苦笑)。

 とはいうものの、今の時代では携帯(スマートフォン)を持たないで生活をするということは、とても勇気がいるものだ。現実に、スマホを持たないで外出しただけでも、物凄く不安で落ち着かない。まして、落としたり紛失したりしようものなら、気が気ではない。現実に、ボク自身も昨年の今頃、携帯を落としてしまって、一晩気が気ではなかった。幸い、翌日に交番に届けられていたので、大事にはならないでよかったのだけれどもね。そういえば、去年あたりだったか、『スマホを落としただけなのに』(中田秀夫・監督)という映画もあったが、これも一種の現代恐怖映画でもあった。

 まあ、そんな話は置いておいて、映画『アナログ』の話。

 何でもかんでもデジタル化の今の時代に、Pianoというちょっと感じのいい喫茶店で、携帯を持たない女性と出会う。そして、その女性を好きになった男が、連絡先を交換することが出来ないまま「毎週木曜日、同じ場所で逢う」ということになる。約束をしたワケではないが、お互いの気持ちが通じれば、毎週木曜日で同じ場所で逢うということは可能なのだ。

 その女性に関することは、過去も経歴も知らないままだ。ただ、その場所へ毎週同じように現れてくれるのかどうか…、それもわからない。だけど、2人は約束をしたかのように毎週木曜日にPianoであってデートをするということを繰り返した。

 お互いに気持ちが強くなっていくけれども、一夜を共にしようと画策したり、ということにはならない。だけど、逢うことに対してワクワクしていく。

 しかし、翌週にはプロポーズをしようと思い、初めて約束をするのだが、その翌週に彼女の姿はなかった。以来、彼女はPianoに現れなくなってしまった。

 一体彼女に何があったのか…。また、その女性はどんな過去を持っていたのか。そのことがやがて少しずつわかってくるのだが、ストーリーは思わぬ展開になっていく。

 男と女は、思いを募らせていくと、やはり相手のことをもっと知りたいと思うようになっていく。その人のことを知りたいと思うのが人の心というものでもある。

 彼も仕事で異動になったりしてPianoに足を運べなくなってしまう。そうして、時間が経って、なぜ彼女は約束の日に来られなかったのか、その過去に何があったのかということを知る。その衝撃は涙を誘うものとなっている。

 家族映画や喜劇映画、青春映画と違って、ラブストーリーではハッピーエンドでない方がより強く印象に残る。果たしてこのラストをそう捉えるのかどうかは、観る人次第ということになるのかもしれないけれどもハッピーではないけれども、主人公は今の倖せ感は味わっているのではないだろうか…。そんな気もして、ボクもしみじみと余韻に浸っていた。

 そして、この作品にも奥には一本、しっかりと家族というテーマの芯も置かれていた。カタカナ言葉大好きの部長やガンを患ってやがて亡くなる母親。幼馴染の二人の友だちの友情、など、サイドストーリー的なところも悪くはなかった。

 ところで、これはまったくどうでもいい話かもしれんけれども、ボクも中学2年頃から、ノートに日記を書き綴っている。もちろん、毎日ではないけれども、50年以上も継続していることになる。今年の12月に27冊目のノートが終了しそうだ。調子がいい時は文字量は少なく、落ち込んでいる時や怒りをためている時は文字数が多くなっている。まあ、そんなことは、まったく私的なことで、どうでもいい話でした。