どうしても観たい映画(森達也監督作品の『福田村事件』)が、便利のいい近場では新宿でしか公開していなかった。だから、歌舞伎町近くというか、花園神社に通りを挟んで向かいの映画館(テアトル新宿)に朝から足を運んだ。思っていたより、早い時間についてしまったので、ふらりと花園神社を訪れてみた。そして、そこを横切って、朝の新宿ゴールデン街を眺めてみた。
何とも言えん味わいでもある。
怪しげな歌舞伎町の呑み屋街やホスト街、ラブホテル街の通りなどに、新宿区役所を隔てて隣接した形で存在する、間口二軒ほどの小さな呑み屋が、所狭しと並んでいるところでもある。ボクも、映画会社に在籍していた時代には、上司や先輩たちによく連れていかれたところでもある。その当時のゴールデン街は、ことに映画人や文化人といわれているようような、口煩い人たちが呑んだくれていた。そこで議論したり、口論したり、喧嘩したり、時に怒鳴り合ったりもしていた場所である。
映画監督の崔洋一や作家の野坂昭如、役者の殿山泰司などの姿もよく見かけていた。崔洋一監督なんか、見る度に誰かと口論したり喧嘩したりしていたのではなかったかなぁという印象でもあった。まあ、そうした中で、モノがつくられていくという意味もあったのではないだろうかなとも思う。まあ、そういう意味では芸術文化の原点的な意味合いもあったのかもしれない。
隣の花園神社では、寺山修司が主宰していた天井桟敷や唐十郎の状況劇場などの公演が開催されたりもしていた。紅テントなども公開されていたような気がする。そんな、アングラ演劇というか、傾向芸術というか、そんな舞台にもなっていた場所でもある。
ただ、それらの公演は夕方から夜に開催されることが多いのだけれども、朝のそこは、とてつもなく健全で、何だか拍子抜けするくらいの雰囲気でもある。そして、いくらか厳かでもある。
それでも、ゴールデン街に入ると、昨夜の名残の雰囲気があったり、区役所通りの前では寝転がっているオヤジがいたり、半分裸みたいな恰好をしたギャル系女子と明らかにホストかなと思われる男女が佇んでいたりという光景もある。そんな夜の名残の怪しさは十分に引きずっていてくれて、それなりに、その街の味わいを感じさせてもくれた。
そういえば、ボクなんかもバブル期となっていた80年代後半から、その余波を引きずっていた90年前半頃までは、星座館ビルにあるホステスが横に座るようなクラブみたいなところで、誰の金か知らんけれども、エラそうに呑んでいたこともあった。そして、そこから場合によってはゴールデン街へ流れたり…、なんていうこともしていたなぁということを思い出していた。
今は、そんな金をあまり使いたいとも思わんし、オレのためにそんな金を使ってくれる人もおらんわけだ。だから、こうして健全に朝の歌舞伎町やゴールデン街の佇まいを眺めているのである。




