予告編では「怪物だーれだ」という子どもの声とともに、田園都市の風景が映し出されていた。そのイメージが、タイトルと繋がらなかったのだけれども、それはそれで観たいと思っていた映画『怪物』(是枝正裕・監督/坂元裕二・脚本)だった。
多分、モンスターペアレンツに関する映画かなと予想していた。
果たして「怪物」とは誰だったのだろうか、何だったのだろうか…。
オープニング、いきなりガールズバーの入ったビルの火災シーンから始まる。これも意表を突かれた。それを近所のマンションから眺める親子。それが、やがてシングルマザーが一人息子を育てている家庭だとわかる。
前半は、その母親役の安藤サクラの圧倒的な演技力に引っ張られていきながら観ていた。というか、観させられていたといってもいいかもしれない。もしかしたら、安藤サクラが息子可愛さのあまりのモンスターペアレンツではないかという洞察をさせながらストーリーは進んでいくのだけれども、途中でどうも違うぞ、とも思わせる。
ただ、観ていくうちに、いじめの事実と田中裕子の校長先生に不幸な事故があったことがわかる。さらには、息子の担任の先生が赴任早々で指導が適切だったのかどうかということが問われることも含めて、果たして誰の言っていることが正しいのか、真実はどうなんだろう…? と思わせてくれる。学校側によって、操作されていったこともあるのではないかということも思わせていく展開となっている。
また、担任の先生とその彼女の関係も描かれていく。こうして、いくつかの事実が交錯しながらストーリーが進んでいくのだけれども、いろんな事実がフィードバックされていくうちに、時として時系列がわからなくなってきてしまうことがあった。
さらには、いじめを受けている子どもの家庭環境がシングルファザーだということも見えてくると、怪物は誰なんだろうということをまたまた考えさせられる。
今の時代は、ある意味ではとても生き苦しい時代でもある。SNSの普及も含めて、正義中毒患者が多く、何でもかんでも主張して権利を要求する。そして、自分は正しいのだということを主張するような社会にもなっている。そんな生き心地の悪さは、かつては絶対的な存在であったはずの教師や医師がすぐに訴えられたり、メディアの的にされていくこともあるのだ。
そんな現代の世の中の背景も意識させられるのだ。果たして、何が正しくて何が大切なのかということさえもわからなくなる。
現実問題として、子どもは決して純粋ではないし無邪気ではない。平気で噓をつくし、インチキもする。それは、家庭環境も多少の影響もあるのかもしれないけれども、子どもが人間として生きていこうとしていくための本能からのものではないのかとも思う。最近は、ボク自身もそんな風に思うようにもなった。
そして、果たして「怪物だーれだ」ったのだろうかということは、ボクにはわからないままだった。ラストのクレジットを眺めながら、この映画の結論をどう捉えたらいいのだろうかということをずっと考えていた。


