早いもので、もう、婆さんの七回忌を迎えてしまった | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

 思えばコロナ禍前のことだった。我が婆さん(まあ、私の母親ということですが)が、88歳の誕生日の前日に、丁度2年間の介護生活の末に自宅で亡くなって、今年の2月で七回忌を迎えることになってしまった。

 ということは丸っと6年が経過したということになる。最後は要介護4~5というところを行き来していたのだから、ほぼ寝たきりだけど、とにかく施設に入ることだけはかたくなに拒否。しかも、ボケはなかったから、寝たままで目に入るもんが気になるらしくて、寝ながらようけ文句も言っとった。

 結局、自宅で訪問介護のヘルパーさんに来てもらうという形だったのだけれども、3食と下の世話、入浴などはヘルパーさんにお願いしていたが、ごみ捨てや買い物、掃除といったことは、週4~5回、ボクが婆さんのマンションに行って処理するという形でもあった。実質、ボクが介護をしていた形になっていたのだけれども、そんな生活もちょうど2年間だった。

 婆さんが亡くなったときは、その日に限って「今日はここで泊まろう」と思っていたので、まさに虫の知らせだったのかなとも思っている。亡くなった事実の確認は、ある程度覚悟はできていたのでショックというよりも、ホッとしたというのが、正直なところだった。それに、さほど苦しまずに逝けたのはよかったと思った。

これらが、婆さんの描いた天井画

 その婆さんの七回忌ということで、徳島の聖憧寺という寺にボクと、兄貴のところの家族と、岡山で嫁いでいるウチの娘夫妻と孫たちが集まった。このお寺さんの天井画7×7=49枚を婆さんが描いたということもあり、とても縁も深い。徳島へ足を運ぶのは、婆さんの納骨以来、5年ぶりということになった。

 ボクは前日に岡山に入って、そこから娘のオットの運転で阿波市のお寺に向かった。朝早い時間に出て、瀬戸大橋を渡ってから、途中の道の駅「くるくるなると」というところで、孫たちを遊ばせたり、ちょっと早いお昼を食べたりした。

 そして、予定時刻の30分ほど前の12時半過ぎにはお寺に到着。しばし、談笑してからお経が始まり、さらにはお墓の前でも「おにゃおにゃ~」をしてもらって婆さんを供養した。そして、もう亡くなって20年になる親父のことも偲んでみたりもした。

 ということで、慌ただしいながら、七回忌を終えて、兄貴たち名古屋チームと我々岡山チームは別行動となり、そのまますぐに岡山に戻った。

 結局、三日半孫たちと過ごしていたということになったのだけれども、やはりボクとしてはいい時間だったと思えた。そして、我が娘ながら、いろんなことを気にしながら、いい妻であり母親やっとるなぁと思えたことだ。そこで、婆さんには一つ伝え忘れたことがあったと思った。

「あんたの孫は、心配しとったかもしれんけれども、今、いいお母さんしよるでよ。安心したって…」