予告編段階から、ちょっと興味のあった映画🎥『大怪獣のあとしまつ』(三木聡監督・脚本)だった。
公開されて、早速足を運んでみたのだけれども、キャスティングからも予想はしていたけれども、リアリズムに拘らず、いくらか軽い要素も随所にあって、娯楽映画としては単純に楽しむことが出来た。
ことに、大臣たちが怪獣の死体処理に対策を話し合っている閣議でも、大いに言葉遊びみたいな部分もそれはそれで面白かった。なかんずく、何かとたとえ話にしてしまう官房長官なんかの軽いギャグは、ボクなんかは楽しいと思って観ていた。
また、登場人物名も含めて、脚本段階でどこかに拘りがあるのは手に取るようにわかる。
環境大臣の蓮佛は蓮舫をイメージさせ、文部科学大臣が竹中、外務大臣が中垣内なんていうのも、どこかで聞いた著名人からであると推測される。そして、何といっても、総理大臣が西大立目というのは、間違いなく高校野球ファンでしょ…、と思ってしまうところである。
さらには、大怪獣の命名会議の国文学者の名前が「きんだいち」ならぬ金田一(かねだ はじめ)なんていうのも、絶妙な洒落と言っていい。
そんな言葉遊びというか、ちょっとしたウィットを楽しみながらも見られる作品である。
一方では、爆破シーンとかの迫力はなかなかのものだとも思った。
それに、科学的根拠がどうかはわからないけれども、大怪獣を海へ流していくのに水洗便所の原理を利用する。大怪獣から発散されるウンコみたいな匂いを市街に蔓延しないようにするのは、焼肉屋の排煙原理に基づいていく。というようなことも、その真偽は別として発想としては、十分に面白いなと思わせてくれた。
ここに、かつて交際があった首相直結の特務隊の山田涼介と、元同僚で現在は環境大臣秘書の土屋太鳳と、その夫でもある総理秘書官の濱田岳との三角関係というか、かつての男女の複雑な思いの考察もサイドストーリーとして盛り込まれている。まあ、それは見所になるかと言うと「?」ではあるけれど…。それでも、ストーリーを流していく中での要素の一つにはなっていたのだと思う。だから、そんなに抵抗なく、ちょっとした愛憎交錯も観ていかれた。
そして、最後は神風ならぬ神の光で解決していくということで、いくらか強引かなとは思いつつも、最後まで楽しめた作品だった。
ところで怪獣映画の元祖でもある『ゴジラ』は、1954年の作品ではオキシデントデストロイヤーを持って海へ潜った芹沢博士と共に沈んだと記憶している。そして、モスラは南の島へ帰っていった。さらに、ラドンは阿蘇山の火山孜に飲み込まれていったのではなかったかなぁと思う。だから、それなりに後始末はされていたようには思う。
それはそうとして、この作品でも最近の流行りだろうか。エンドロールクレジットが終了した後に、次回予告的な画面が出てくる。次回は「ガメラ」のような「怪獣のあとしまつ」となるようだ。それはそれで楽しみかなとは思うけれどもね(^_-)-☆。
要素としては、甲羅と本体をどう分別して処分していくのかが、焦点となりそうだわね、そういうことを何となく匂わせていた。
それと、どうでもいいことかもしれないけれども、この作品のチラシのキャッチの一つ、「倒すよりムズくね?」というのは、ちょっと抵抗があったなぁ。そういう言葉はキャッチとしては使って欲しくはなかったなぁ。それに、「ムズい」という言葉を百歩ゆずって、許したとして、元々が「むつかしい」であるとしたら「ムヅい」がいいんでね?。 まあ、どうでもいいけど。
JR神田駅に掲げられている告知ポスター



