映画『明け方の若者たち』を観て40年以上も前の自分を思い出した | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

 若いということは、夢を見られるということでもある。自分に対して自分で期待をしながら、やがて現実が見えてくることによって、何かにどこかで妥協しながらも、それでもけなげに生きていく。そして、いつの間にか現実の方が、理想や妄想よりも大切になってきて今の自分を生きていくということになる。

 ことに、大学生から社会に巣立って行かれることに対して、就職戦線を何とか乗り切って、自分の第一志望とは言わないまでも、それなりに自分の思い描ていた世界に足を踏み入れられたら、そこからまた、自分に対しての夢や期待が膨らんでいくモノだ。

 ボクも、もう40年以上も前になるけれども、当時は大学4年の春頃から就職活動を始めて秋になって新聞社や出版社を受けたけれどもダメで落ち込んでいた。そして最後に、「もうこれで終わりにして、ダメなら一応内定貰っている小さな広告会社でいいや」と言うつもりで受けた映画会社に何とか引っかかってしまった。そのことですっかり就職戦線での勝者のつもりになっていた。

 ところが入ってみたら、理想と現実は大違いだった。それでも、再建して10年目の新入社員ということで、10年以上も年上の人たちは、結構可愛がってくれた。京都の撮影所の人なんかは、「オレなんか、10年以上も若手やってんのやで。京撮は新人なんか入ってけぇへんから、まだ若手や」なんて言ってくれていた。そんな環境でボクたちも、人手不足ということもあって、いろんな場所に引っ張り出されていき、そんなこんなで勘違いしていった。

「オレは、案外優秀かもしれん」と勝手に思い込んで、どんどん自信と言うより過信が膨らんでいっていたのだ。

 やがて、「会社は、オレの本当にやりたいことをやらせてくれない」なんて、エラそうな思いが、さらに膨らんで退社していくということになる。そして、巡り巡って、30代半ばで編集プロダクションに身を置いて、そこから10年、編集の実務を勉強させてもらい、やがて今の状況の基礎となっていくということに落ち着く。

 そんな、ボクの社会人となってからの悪戦苦闘も思い出していた。一方で、私生活では遊びたい盛りで、時間があったら合コンばかりして格好つけて、朝まで飲んだくれたり…。そこで知り合った女子と一緒に棲んでみたり…というようなこともやっていた。

 こうして、朝まではしゃいでいたい時代が20代から30代前半くらいなのだろうなぁとも思う。

 この作品でも、大日本印刷(DNP)か凸版印刷(TOPPAN)みたいな大手印刷会社に就職して、勝ち組の端くれだと思っていた主人公が、そのコンパである女性と出逢う。相手から誘われるような形で交際するようになることで、恋に落ちる。しかし、やがて、その女性が、どんな存在だったのかということがわかり、落ち込んでいきながら葛藤していく。さらには、優秀だと思っていた同期のヤツも、「もっとやりたいこと」を求めて退社して小さな編集プロダクションへ進んでいく。

 そんな中で、主人公は次の自分をどう見つけていくのかということになる。

 タイトルの「明け方の若者たち」というのは、「キミたちは人生にとっては、まだまだ明け方でしかないんだよ」ということも諭しているのではないかと、そんな風にも感じていた。

 若い俳優陣では、主人公役の北村匠海は、このところ売れっ子だから、辛うじてわかっていたが、他の役者はほとんど知らなかった。だけど、こういう映画では、そのことが却って等身大に思えてフレッシュだったし、観る側として固定概念がないということで入り易かった。

 印象としては、去年の菅田将暉と有村架純が出ていた『花束みたいな恋をした』にも似ていた。明大前というスポットも同様なところがあるのかなぁ。若者が、あのあたりでウダウダと過ごすのは、学生時代のボクにとっての三軒茶屋に似ているのかなぁ。まあ、その後フィールドは六本木を経て錦糸町になっていくのだけれども(苦笑)。

 なんてことも思ったりしながら、気持ちは妙に若返ってしまった。とうに還暦越えして前期高齢者に足を踏み入れてしまっているオヤジでもあった。