現実に起きていることを受け止めながら、自分がどうしていくのがいいのかと考える | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

 岸田文雄が第100代内閣総理大臣となり数日が経つ。日本は、新内閣によって新たに動き出すことになったというのが社会的な見解である。もちろん、新しい大臣の人事配置が決まり、それぞれの役割を示されている。

 昨年の2月に新型コロナウイルスの感染が報じられて、日本中がコロナパニックに包まれて1年半。何度かの波を経ながらも減らなかった感染者数だけれども、ここへ来て、ようやく陽性反応者の数が減少してきている。それだけで、何となくホッとしてしまうのは、やはりボクたちはそうした社会の報道に動かされているのだろうなと言うことを思わざるを得ない。

 安倍晋三の総理大臣時代に新型コロナが感染してから、安倍晋三が日本全国の家に小さなマスクを2つずつ送るという世紀の愚策と言われた政治活動の後、体調不良を理由に退任。代わって菅義偉が総理大臣に就任したが、結局1年で退任。今回の岸田文雄就任に至ったということで、コロナ禍で3人目の総理大臣ということになる。

 その岸田内閣の支持率が就任当初から低いといってメディアが騒いでいる。とはいうものの、考えてみれば、総理大臣が替わって、妙に期待感が上がって、それから現実に戻って、たちまち落ちていくという今の風潮を思うと、最初から低くていいんじゃないのと思ってしまう。

 こう言っちゃうと無関心とか無責任とか、諦めているんじゃないかとか思われてしまうかもしれないけれども、ボクなんか最初から妙な期待はしない代わりに、新内閣を批判しようとも、ダメ出しをしようとも思わない。そもそも、「ここでオレごときが何かをほざいたって、世間はなーんっちゃかわらせんのじゃ」というところもある。るっとも、それよりも、ボク自身の中に、社会のことも仕事のことも、自分自身のこともそうだけれども、「起きたことは、それを現実として受け止めていかんとしょうがないがね」という考えが強くあるからかもしれんなぁと、最近ことに思うようになってきた。

 結局、生きていくのは自分自身だし、社会に文句言ったって、誰かに文句言ったって、誹謗中止をょうしても、そこにはな~んちゃ生まれてこんわけだでねぇ。

 ボクにとっての、生きるためのバイブル集みたいになっている『仁義なき戦い』(深作欣二監督)シリーズの中にも、象徴的なセリフがある。

「こんなの言うちょることは理想よ。…(中略)…。現実っちゅうのは、己が支配せんことにゃーどーにもならんのよ」

 そう、100の理想よりも、一つの事実、一つの現実。それをどう受け止めていくのか、それが生きていくということじゃないの…。なんて思ったりもしている。

 だからと言って、権力をあがめるのでもなければ、そこにすがっていくのでもない。あるいは、野党みたいに何でもかんでも反対していけば、それでええんかっちゅうと、「そういうもんでもなかろうがよ」

 と言うようにも思う。

 社会では、これから解散~総選挙があるんだろうけれども、その後に何があるのかと言うと、またちょこっと何かが変わった現実になるだけだとは思う。だけど、そんな日本に今、生きていて人間やっとる者としては、とりあえずは、その中で自分がどう生きていくのがええのか、どう生きていくのが楽しいのか…、それを求めていきゃあええんじゃないの…、と、思っとるんだけれどもね。

 だから、日大の背任報道に対しても、「それは、けしからん」と目くじら立てるほどの正義もない。皇室の女子と結婚しようとしている海外在住の弁護士とかいう男の態度がいかんとか、その母親がいかんということに対しても、目ぇ吊り上げてモノ言うほどのことでもないしなぁとは思っている。と言うのも、そのことでオレ自身は、何にも困らんわけだでね。今のところは…。

 それよりも、同じ日大でも池江璃花子がインカレ初優勝してよかったとか、ひょっとしたらセ・リーグはヤクルトが優勝しそうだということの方が面白いし楽しい話かなとはと思う。サッカー日本代表が負けて、予選1勝2敗でW杯出場が危機になってきたのは、「負けたんだでしょうがないんじゃないの」としか思えん。かといって、「森保監督がいかん。監督交代させないかん」ということは、思わんわけで…。じゃあ、誰がどうしたらいいの、騒いどるヤツは、そういう代替案をしっかりと出していかんといかんのだわ。

 モラトリアムじゃないけれども、世の中に対しては肯定しながら、ちょっと距離を置いていくというのが、結果的には65年間続けられてきたボクの人間としてのあり方だったのかもしれんと思う。そしてまた、あと20~25年くらい、そうやって人間やって行かれたらええんちゃうか…とは思っとるけど。とはいえ、あともう一花咲かせてくれるんだったら、咲いたってもええけどね、とも思っている。