若くて将来を嘱望されていた科学者が、何らかの形で罠にはめられて、コールドスリープ(冷凍睡眠)をされて、30年後に目を覚ましてその現実の中で苦悩する。という映画🎥が『夏への扉~キミのいる未来へ』(三木孝治・監督/菅野友恵・脚本)だ。そこで、自分が開発研究してきた人工知能によるロボットが未来社会で、どんな活動をしているのか。その戸惑いの中で、自分の失われた30年の間に、世の中では、何が起きていたのか…ということを求めていくストーリー。
1995年から2025年へという舞台は、今の我々にとっての近過去と近未来である。
最近の作品で、多く用いられている手法のタイムスリップモノでもあるのだけれども、30年という年月は何とも微妙だ。ボクなんかでも、30年前というのは、戻りたいような戻りたくないような…という時間でもある。
だけれども、その時間に何が起きていたのか…。その時間が自分の知らないままに過ぎていたのであれば、過去を知りたいという思いはあるだろう。まして、自分が社会的な影響のある存在であれば、なおさらである。
当然のことだろうけれども、30年間凍結されていたら、その間の社会の動きは知る由もない。だけど、その割には主人公の社会的対応力かあるのには、フツーに見ていれば違和感はないのかもしれない。けれども、30年という時間に拘ってしまうと、ちょっと、「えっ??? そんなにすぐに社会になじめるのか」という感じもあった。
だけど、そんなことは映画的展開の中では見過ごしていいことかもしれないし、百歩譲って、科学者で頭脳明晰な人間だから、携帯含めてメディアへの対応力というのはあるということも考えられる。当然、科学者としては、ある程度予測していた世界でもあるかもしれないかな…、というレベルも含めて、そこに突っ込む必要はないんじゃないかなと思いながら見ていた。
凍結されることで、現代版「浦島太郎」になるのだけれども、映画的には自分が凍結されていた分、年齢を重ねているわけではないということもキイになっているのか…。ということも思っていた。そして、過去を変えていくことで未来も変わる。この手法は、先の『シグナル~長期未解決事件捜査班』(橋本一・監督)でも用いられたものでもある。
過去を変えることで未来が変わる。これは、実は人間としての切なる思いなのかもしれない。だけど、現実というのは、自分の過ごしてきた過去があって、その失敗や間違い、恥ずかしさといった、いろんなものを背負いなが生きていくのである。そして、それを足場として今の自分があるとも言えるのだ。
だからこそ、映画という夢世界の中で、過去と今の自分との整合性を修正していきたいという思いもあるのかもしれない。そんな気持ちで、ボクは、この作品の30年という時間差を見つめていた。
ところで、ヒロインとして登場していた清原果耶は、朝ドラ『おかえりモネ』のヒロインでもあるのだけれども、女子高生としてのセーラー服姿、とてもよかった。しかも、白の三本線のセーラー服、ちょっと懐かしかったなぁ…。ただ、ボクの45年以上の過去の記憶では、リボンは紺ではなくて白だった。まあ、どうでもいいことだけれどもね…。

