今のタイミングで映画『ヒノマルソウル』を観る意味と意義を考える | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 東京オリンピック・パラリンピックの1年遅れでの開催を前に、気になっていた映画🎥『ヒノマルソウル』(飯塚健・監督/杉原憲明、鈴木謙一・脚本)を観た。

 20世紀最後のオリンピックとなったのが1998(平成10)年の長野冬季オリンピックである。日本にとっては、1972(昭和47)年の札幌冬季オリンピック以来のオリンピックだった。振り返ればもう23年も前になる。

 そして、最大のハイライトとなったのが、日本の金メダルが期待されていたラージヒル団体だった。4年前のリレハンメルでは日本は悔しい銀メダルだった。それから4年、自国開催での金メダルを目指して最大強化種目となっていた。

 その裏方として尽力していたテストジャンパーにスポットを当てたものだが、そのメンバーの一人にリレハンメルの銀メダリストで、もっとも飛んでいた西方仁也がいた。本来、当然長野のメンバーに入っているはずだったのだが、ケガなどもあって、最終的には選考から漏れた。そして、彼には裏方としてのテストジャンパーの任務が与えられた。

 かつて、オリンピックの檜舞台で表彰台にも上るという栄光を手にした者としては屈辱的な任務でもあった。そんな西方の精神的な葛藤などを事実に基づいて描いた映画作品である。西方仁也という名前はボクもよく覚えていた。ボクの名前の1文字「仁」が名前に入っていることでも親近感があったが、リレハンメルでは一番飛距離を稼いでいた選手という印象もあった。その西方が、長野のメンバーに入っていなかったのは、一つに若手の船木和喜の台頭ということもあったのだけれども、さすがにそこに隠されていた事実は知らなかった。

 それらをドキュメンタリーではなく、完全にドラマとして見せていくのだけれども、比較的すんなりとストーリーに入って行かれた。このあたりは、競技映像に頼ることなく、ドラマストーリーを重視していっていたからだとも思う。

 もちろん、当初から2020年の東京オリンピックを意識して、日の丸を背負って戦っていくことの重さ、その意味や意義を伝えていこうという意図は十分にあったはずである。しかも、世界的イベントにはスポットを浴びる者がいる一方で、その陰で尽力している人間がいっぱいいるのだということを伝える意味も十分にあったのだろうと思う。

 また、サイドストーリー的にテストジャンパーの一人に当時では極めて珍しい女子のジャンパーがいたことにもスポットを当てていた。その後、ソチオリンピックで女子のジャンプが正式競技となっていくのだが、高梨沙羅の活躍以前に、その伏線的存在がいたということである。

 演出的には、ベタベタのお涙頂戴のキレイごとよりも選から漏れた者の口惜しさ、苛立ちを詳細に表現していたところにも共感できた。このあたりは、ちょうど今のタイミングだけに、高校野球の部員たちにも機会があったら観てほしいなという気もしている。

 西方役は田中圭が演じていたが、その妻が土屋太鳳。この二人は、『哀愁しんでれら』(渡部亮平監督・脚本)でも夫婦役をやっていたけれども、同作での一見優雅だけれど実はとても利己的で恐ろしい医師夫婦とは、まったく別の味わいを見せてくれていた。 

 新聞が毎日新聞とスポ-ツニッポンというのは、製作TBSグループということだから、当然のことであろう。「ヒノマルソウル」とは日の丸を背負って戦う魂ということである。

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