我々世代というか、昭和30年代生まれにとって、テレビは幼少時から、最も親しんできたものであることは確かだ。ことに、1964(昭和39)年の東京オリンピック以降、どんどんとテレビが日常の中に入り込んできた。
と同時に、テレビがボク達の生活を主導していくようになっていった。つまり、言うならばボクらはやはりテレビ世代であることは間違いない。そのテレビそのものも、かつてのブラウン管時代から、今の液晶画面でいわゆるデジタル映像となって、ハード部分としても変化してきている。
今の時期、J-Sportsでのキャンプ中継などは有難い
もちろん、それ以上にソフト部分というか、番組そのものもも、テレビのあり方そのものも変貌を遂げてきていることも確かであろう。
今、コロナ禍で緊急事態宣言が発せられて、好むと好まざるにかかわらず自宅での生活時間が多くなることを余儀なくされている。そうなると、どうしたってテレビを見ている時間も多くなる。ただ、今は民放各局は午前も午後も似たようなワイドショーが主体で、キャスターやコメンテーターと呼ばれるヤツらが、必要以上に危機感を煽ったり小さな正義感を振りかざしたりしながら、さもありなんというようなことをしゃべっているだけ。それに、文化人枠と呼ばれる学識経験者と言われるヤツらも同調していくという構図がほとんどだ。
だから、どれを見ていてもさほど受け入れるものに関しては大差はない。かといって、テレビがついていないとちょっと寂しい感があるというのは、我々世代の悲しい習性でもあるのかもしれない。テレビがついていないと、世間に置いていかれている感が出てしまうのは、やはりテレビ世代としてテレビに毒されていると言われても否定はできない。
やはりボクの場合テレビでは、スポーツ中継を見る時間がもっとも多い
他は、とりあえずテレビがついているだけということの方が多い(苦笑)
そもそも、テレビの役割とは何なんだろうか。一つは、やはり情報伝達。そしてもう一つは、見ている者をを安堵させたり、楽しくさせたり、ステキな気分にさせたりするということもあるだろう。そのためにホームドラマがあったり歌番組があったり、メロドラマがあったりもしたのだろうけれども…。
ただ、今の時代は猫も杓子も、バラエティー仕込になっている。ことに、日中の番組なんかは、テレビをつけ続けていると、ずっとそんな番組を見続けることになる。どうかすると政治の場である国会中継までがそんなバラエティーやワイドショー仕込みではないかと思えてしまうくらいに2000年以降、厳密に言うと小泉純一郎政権以降というか、そんな傾向が気になって仕方がない。それは、世の中の傾向なのかもしれないけれども…。
まあ、それはそれで置いておいていい話なのだが、国会中継も放映されるテレビである。今、テレビが、本当に伝えなくてはいけないことは何なんだろうかということ、そして、我々がテレビに求めているモノは何なんだろうかとも思う。
今や、多くの人たちがテレビがメディアとしても絶対的な存在ではなくなったとは認識している。だけど、何だかんだ言いつつも、テレビの影響力は強い。それも確かな事実である。だからこそ、もう一度テレビは社会のプロパガンダでもあるという認識は、関係者がそれぞれ持ってほしいものだとも思っている。何せ、テレビ業界というのはバブル時代前の昭和末期、就職戦線での勝ち組のゴールでもあったのだから。
かつて、フジテレビが制作した『就職戦線異状なし(1991年・金子修介監督作品)なんていう鼻もちならない映画もあったくらいだ。これなんか、テレビ局入社が就職戦線の勝ち組みたいな立ち位置でやっていたバブル期(公開時はバブルの余波時代)ならではの浮かれた映画だったんだけれどもね。とはいえ、映画としては、そこそこ面白かったでいかんがや。
もっとも、今のボクは、BSを含めて、ほとんどスポーツ番組か歌謡曲番組以外は、テレビはついていても、「見る」という行為にはなっていない。それが、今のボクにとってのテレビの位置づけでもある。そんな中で、27日に放映されたNHK-BSの「ありがとう裕さん~さらば石原軍団」は見ごたえがあった。この番組に関しては後日、ここでボクなりの感想を述べさせていただきたいと思っている。


