昭和歌謡の代表的作詞家であり作家のなかにし礼が亡くなって | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

 また一つ、昭和が遠ざかっていったなということを再認識させられた。コロナで振り回された2020(令和2)年が終わろうとしている年の瀬に、昭和を代表する作詞家の一人であった、なかにし礼が亡くなった。

 著書『歌謡曲から「昭和」を読む』によると、昭和の終焉とともに、「歌謡曲が消滅していった」とも述べている。その象徴的な事柄として美空ひばりの死があるという。そして、自身も平成になって以降は、歌謡曲の作詞活動を一部を除いてほとんど停止していた。主に作家活動に専念していった。

 ボクも、作詞家としてのなかにし礼のファンでもあったが、作家なかにし礼に関しては傾倒していたし尊敬していた。

 日本の歌謡界の全盛時代を先に亡くなった筒美京平や中村泰士らとともに駆け抜けていった人でもある。特に、黛ジュンは「恋のハレルヤ」にはじまって「霧のかなたに」、レコード大賞を受賞した「天使の誘惑」。さらには「夕月」「自由の女神」などヒット曲を量産している。

 ザ・ピーナツの「恋のフーガ」「恋のオフェリア」「愛のフィナーレ」などもそうだ。

 他にも弘田三枝子の「人形の家」、いしだあゆみの「あなたならどうする」、黒澤年男「時には娼婦のように」、細川たかしの「心のこり」や「北酒場」にアン・ルイスの大ヒット曲「グッド・マイ・ラブ」、北原ミレイの「石狩挽歌」など、幅広いジャンルで作品を残していた。

 そして、作家としては自身の満州での生活をベースに描いた『紅い月』は面白かったし、TBSのプロデューサーでレコード大賞を牛耳り、その後は東京音楽祭を主催した名物プロデューサーで“歩くわがまま”とも‟テレビに恋した男”とも言われていた”ギョロナベ”こと渡辺正文の生涯を描いた『世界は俺が回している』なんかは、まさにテレビ全盛時代の芸能界の様子が手に取るように描かれていた。

 ボクなんかは、この本は何かある度に読み返しているくらいだ。この年末年始には、また読み直さなくてはと思っている。本当に、また昭和の時代が遠ざかっていったようで、やはりその時代に青春から成人を過ごしていったオヤジ世代としては寂しい。

 特に今年は、プロ野球で高木守道、映画俳優で渡哲也、映画プロデューサーで『仁義なき戦い』などの東映の実録路線を形作った日下部五郎、そして作家・作詞家でなかにし礼と、その世界でボクが最も好きだった人たちが相次いで亡くなっていった。

 コロナ禍ということでの不自由さだけではなく、ボクの好きな芸能スポーツ文化ということでも、衝撃の1年だったということになってしまった。