今年も神宮外苑の銀杏は色づいてきているけれども | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 去年と同じ紅葉の明治神宮外苑だけれども、去年までと同じのようだけれども、どこか違う景色の明治神宮外苑である。

 と言うのも、恒例の「いちょう祭り」は、銀杏並木だけが例年通りに色づいているけれども、賑わいや雰囲気が違うのだ。そこには去年までのような「いちょう祭り」を盛り上げる全国各地のB級グルメの出店やビール販売などがない。ヤクルトの試合前の練習場であり、草野球のメッカでもある神宮球場横の神宮外苑広場も、閑散としている。

 毎年そこには休憩用のベンチとテーブルやテントなどが設けられて、親子連れやカップルなんかが、幸せそうに乾杯したり、串焼きを食ったりしているのだけれどもね。さらには、そんなところに不倫っぼそうなワケアリ気味のカップルを見つけたりするのも、案外ヒューマンウォッチとしては面白いものでもあった。しかし、今年はそんな光景もなく、閑散としている。

 一見、国会議事堂かな…、なんて勘違いするヤツもいる絵画館前も、人影はまばらで、いつものような賑わいはない。とは言え、銀杏並木の下には、多くの人が訪れていて、写真を撮ったり、シェルティーやダルメシアンなどのワンコを散歩をさせたりというちょっとハイソサエティーのような優雅さを味わっている人もいなくはない。

 ただ、そんな佇まいも、今年に限ってみているからかもしれないけれども、どことなく心細げな気がしないでもない。そうでなくても、年の瀬が近づいてくる中で、北風がぴゅ~っと吹いてきたりすると、どことなく寂しさは増してくるというものだ。

 それが、今年はとりわけ感じてしまうのは、やはり、新型コロナの目に見えない恐怖がどこかにあるからなのだろう。

 そんな心に一抹の不安を感じながら、2020年という年も、あと1カ月しかないということになってしまった。本当に、この1年は、ボクの60余年の人生の中でも何とも表現しきれない1年ということになってしまった。「オレ自身は健康だったのに、何もアグレッシブに活動できなかった1年」でもあった。何をやっても、どこかスッキリしない、そんな年でもあった。

 春の、無観客花見から始まった今年のコロナ騒動は、いったい我々に何を問いかけようとしていたのだろうか。平成の世に浮かれすぎた我々への、何らかの警鐘だったのか、それとも非常事態を仕掛けていくことで、人それぞれの本質をさらけ出させようとして、より醜い面を露骨に示していこうとしていたのだろうか。神様が、どんな意図で仕掛けたことなのか、わからないんだけれども…。

 散った銀杏の葉を踏みしめながら、ふと、いろんなことを考えてしまった。

 秩父宮ラグビー場で、スクラムを組むラガーマンの後方で風に舞う落ち葉が、妙に切ない思いを映し出してもいた。