思えば、1999年の6月に『熱中!甲子園』を双葉社の好奇心ムックで刊行。そのなかで、「都立校で甲子園出場の夢をかけて」というコーナーで、城東を大特集したのだ。
編集プロダクション時代に手掛けこの2冊が、その後の手束仁を大きく変えた
それが、勢いづけたのかどうか、オヤジたちはそう言ってくれたのでボクも図に乗っていたのだけれども、城東が快進撃を続けた。準決勝では当時東東京だった早稲田実を下し、決勝では駒大高を倒して、ついに悲願の甲子園初出場を果たしてしまったのだった。
さらには、その2年後にも、再び甲子園出場を果たすのだから、まさに、「東京都の高校野球勢力地図が変わった」とまで言われたのだ。
私学が圧倒的に優勢な東京都にあって、都立校の各選手や指導者たちに勇気と希望を与えた。「やればできる、甲子園は夢ではない」という思いを持たせたことだけは確かだった。
こうした、都立校の指導者たちにとって、バイブル的な役を果たしたのがかつて、東大和を‟都立の星”として、夏の西東京大会で二度までも決勝に導いた佐藤道輔監督の著書『甲子園の心を求めて』だった。「甲子園の心は、毎日の練習をしているグラウンドにこそあるのだ」というのが信念。そんな思いを記したものだった。
佐藤監督が連盟の仕事なども多忙になり退いた後、東大和の監督に就任したのが、早稲田大を卒業し野津田で6年間勤務し異動してきた宮本秀樹監督だった。宮本監督は、その後は府中工で11年→片倉では再任用を経て今年で13年となっている。その、宮本監督が、佐藤道輔先生に教わったものを、自分ふうな味付けをして、今後の若手指導者や生徒たちにも伝え残しておきたいという思いから、『“甲子園の心を求めて”と私』という形でまとめている。
それを、小社ジャスト・プランニングでもお手伝いさせていただいている。そんなこともあって、今回、ここで紹介しておかなくてはいけないとも思っている。

城東の二度目の甲子園となった01年以降、都立勢の躍進としては、03年には雪谷が甲子園出場。04年には西東京大会で昭和と国立がベスト4に進出。その翌年は小平がベスト4。09年は東東京で雪谷が決勝進出し、西東京では日野と小平がベスト4。2012年は宮本監督の片倉もベスト4に進み、その翌年は日野が決勝に進出。そして、2014年春は小山台が21世紀枠代表で甲子園出場を果たしている。
そんな流れを見てみると、やはり、1999年がエポックだったのだと思う。改めて快挙だったんだなぁとしみじみと顧みている。そして、そのベースを作ったのが、東大和の躍進と『甲子園の心を求めて』だったのだ。そして、その思いを今。片倉の宮本監督が伝え継いでいこうとしている。
そういう意味でも、今、改めて、『“甲子園の心を求めて”と私』として、もっとも影響を与えられてきた現場の指導者が、今、その思いを、今の時代に合わせた形で残していくことは、「高校野球とは何か?」を改めて問う意味でも、価値があるのではないかと思っている。東大和時代の若き宮本監督の苦悩と試行錯誤、そして今に至るまでの奮闘記である。
ボク自身は、城東の甲子園出場を機に高校野球をフィールドとした仕事を増やすことができるようになった。今のボクの立ち位置を築く要素にもなったということで、やはりエポックだったのだ。
府中工時代の教え子、元中日の高江洲拓哉氏が、
片倉に宮本監督を訪ねてきたこともあった


