今回のコロナ騒動にあって、ほとんどの人が3カ月くらいはまったく不自由な生活をせざるを得ないという状況に追い込まれていたと思う。しかも、冬が過ぎて活動の春になって…という時期だったということもあって、人々の心をメイだというか、何かに向かいたいという気持ちの機先を制せられたというところはあったのかもしれない。そんな風にも思っている。
ことに、自粛が長引いていくことが明確になった4月になって、心が病んできたかな、あるいは滅入ってきたかなと感じていた人もいたかもしれない。
回向院は慈悲の心で人々を救済しようとした
現実に、ボクの周囲にも、ある時期からとにかく負のメールを送信してくるヤツがいた。新型コロナウイルスの感染拡大が大きく報じられて学校休校要請が始まっ頃から、かつてない頻度で来るようになったのだが…。
当初は、ボクとしても、それなりに対応していたのだけれども、センバツ中止が発表されて、頻度が増してきた。さらにはプロ野球の開幕延期、著名人の感染講評報道などに至って、あまりにも建設的ではない否定的なメールしか来なくなった。さすがにボクも返信するのを辞めた。それに応えたり反論していたら、こっちの心が歪んでしまいそうだったからだ。
30年来の付き合いのある相手で、呑兵衛だけれどもそれなりのインテリジェンスは感じさせる相手だったので付き合ってはいた。ただ、さすがに、ここへ来ての社会に対してはもちろん、オレに対しての否定的なメールも日増しに増えてきたのは、心が荒んでいるとしか思えなくなった。
気になったので色々調べてみたら、そういうのを精神学心理学的にはサイコパスと言うらしい。チェック項目のテストとして10項目あったのだけれども、見事に10項目すべてに当てはまってしまうくらいの男だった。
スカイツリーは、令和時代のシンボルタワーとなっていかれるだろうか
とにかく、起きている現象に対してはまず否定。そして、その当事者などを徹底攻撃。だけど、自分から解決策は提案したりはしない。でも、自分は常の上から目線の指摘型。何かを実現しようとして「こうしたらやれるかもしれない」ということを提案することはない。
「こういうことを言っている誰々はバカ」
「ボクは、あいつを絶対認めない」
「有事にスポーツはいらない! これは宿命」
そんなものばかり。
今、行われていることを否定するのであれば、それに対しての代替え案を提出していくのが、本当のインテリゲンチャだと、ボクは思っている。そういう意味では、いかに高学歴であろうとそういう思いができない人間はそこまででしかないということだと思う。
そんな人間の持つ心理というか、本当の姿もあぶり出してくれたのが今回のコロナ禍かもしれない。
♬薄紫の藤棚の 下で歌ったアベマリア 赤いカバーのラケットを 君は小脇に抱えてた
キミは素敵な キミは素敵な女学生(歌・安達明/北村公一・作詞/越部信義・作曲「女学生」の流行った時代は、いい時代でした。きっと)
ボクは人間の持つ心、内面というのは、ポジティブかネガティブか、善か悪かそれに面しかないと思っている。つまり、今起きている現象事実を肯定して自分で対処していくのか、否定して誰かのせいにしていくのか、その違いでしかないと思う。そして、ボクは結局のところ常に前者である。
だから、社会派的にはなっていかれないというところもあるのかもしれないけれども…。



