第102回全国高校野球選手権大会が、地方大会を含めて中止決定となった | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 正式に第102回全国高校野球選手権大会が地区大会も含めて中止決定と発表された。もちろん、なかなか収束していかない新型コロナウイルスの感染拡大の影響を考えると、ある時期からは、結果的にはそうなっていくだろうなということは予想はしていた。しかし、オフィシャルに発表されると、やはり虚しさと寂しさは否めない。

 それとともに、多少なりとも高校野球に関わってきた大人として、この現実の中で何をどう伝えていくことがいいのかということも考えた。

今年の夏は、甲子園にこの瞬間が訪れないのは哀しい

 主催者からのメディアを通じての発表は、

「苦渋の決断をお伝えする哀しい日となった」「全国およそ250の会場で行われる、地方大会の開催で感染拡大の防止、および練習不足の中で怪我の防止、さらには休校が続く中で、授業との兼ね合いも含めて中止とせざるを得ないという判断に至った」

 というものだった。
 そして、その後の措置などについては、各都道府県の高野連で、それぞれが独自の判断でそれぞれの大会をどうしていくのかということに委ねられることとなった。

青い空、白い雲、満員のスタンド、甲子園の景色すべてが素晴らしい

 ボクのような立場の人間としては、現実問題としては起きた結果に対して対応していくことしかできない。そして、その中で関係各位がどういう思いで向かっていってくれたのか、そのことを思うしかないのだ。
 今回の結論に関しては、やはり「とても残念なことではあるが、どうしようもないこと。仕方がない現実」という捉え方しかないというのも正直なところだ。ただ、人生というのは、自分だけの力ではどうにもならないことというのは、いくつもあることも確かだ。それを運命と受け止め、そのことにどう対処していくのか、それもまた今を生きるということなのである。
 今後は、高校生活最後の舞台となるはずだった3年生の選手たちのケアを含めた、今後の措置の問題も出てくるであろう。

球場に選手の声が響き、若さが駆け巡る、そんな日常が早く戻ってきて欲しい

 ボクとしては、これを一つの機として高校野球を取り巻く、何かが変わっていくのではないかとも思っている。折しも、球数制限が決められ、大会日程の見直しなども議論されかかってきたところでもあった。

 一つには、これまでの高校野球の運営や方向性が、少し形が変わるのではないかということだ。というのは、従来は組織としては、すべて日本高野連からのトップダウンスタイルだった。それが少しずつ変化していくのではないかと思う。独立した各都道府県高野連から、ボトムアップスタイルで日本高野連に提案していくスタイルもアリではないかということだ。

 今回の各都道府県高野連のそれぞれの措置などで、むしろ現場から上げていかれるようになっていかれれば、それはそれで一つの改革ということになるのではないだろうか。

 図らずも、今回のコロナ騒動の行政の対応も象徴的である。従来の中央集権主義より

、地方分権的な独自の地方行政の方が動きも早く、評価されてきているところもある。地方分権の時代が明確になってきた。

地方球場の確保も大事になる

 さらには、9月入学も検討され始めてきたタイミングでもある。
 今回の中止は、高校野球そのものが、組織や運営方法も含めて、いくらか変化をして行く時期だということなのかもしれない。今回の中止は、まさに高校野球新時代の訪れを告げているのかもしれない。

 とはいえ、甲子園という聖地があってこその、今の高校野球の隆盛があるのも確かだ。

 当面の問題としては救済措置の大会などはどうするのか。さらには、秋季大会が当初の予定通りに進められるのかどうかという問題も出てくるであろう。