皆さん、こんにちは。Justonshellです。
先ほどのいまの自分を作ってくれた出来事②-1~学生期~に引き続き書いていきます。
先ほどの記事でもいいね!を押していただき、閲覧していただいた皆様、
ありがとうございます。
そんな高校時代を経て私は大学へ進学しました。
サッカーも最初は大学でやっていましたが、
古傷を痛め、そこでサッカーを本気でやることからは卒業しました。
心にぽっかりと穴が開いたように、空虚感とはこのことをいうのか。。。
と初めて実感しました。
そこから4年間アルバイトに明け暮れることとなります。
が、私の大学生活でのキーワードを先に発表します。
大切な友人と留学と、コミュニケーションです。
4年間を経て3人大切な友だちが出来ました。
同じ学科で、皆留学経験があり、休みになれば観光名所や東京ディズニーランドに4人で行ったりしました。
その4人でいる時間が私は大好きでした。
相談があれば親身になり納得いくまで話を聞きあい、
楽しいことは4倍になり、
辛いことは4で割って、
それだけでも私は大学に行ってよかったと思います。
その3人は仲良くなれましたが、
仲良くなれなかった人たちも多くいました。
ですので、安心してください。
みんなと仲良くする必要はありません。
むしろみんなと仲良くすると、自分がすり減って大変になることもあるのです。
私は人間関係に絶望したこともあります。
仲良くしてたのに、急にどうして。。。
なんてこともありました。
もちろん自分にも非があることは、わかってます。
誰かが100%悪いなんてこと、人間関係ではそこまで存在しません。
原因の根源を辿ると自分が根源だということも少なくないです。
だから、そういったことに気付かせてくれた人たちにも感謝したいです。
心には大きな傷を負ったと当時は思ってましたが、
考えを変えると、その傷は勲章になるんです。
こんなこともあったな。
こういった言動、所作気を付けないとな。
これだけで大きな進歩です。
人間関係に限らず今がつらい人、いると思います。
ただ決して自分から命を絶つようなことはしないで。
その傷はあなたの未来を必ず照らしてくれる。
1人ではないので、前を向いて、たまには後ろも見てしっかり足跡を確認して、
その一歩一歩は必ず明るい未来に繋がっていくと信じて。
ともに歩みましょう!
というような発想になったのは留学がきっかけで(←唐突な第二部ですね笑)
オーストラリアへの短期留学に大学2年生の時に行きました。
泣け出しのバイト代と、学校から出る補助で何とか行くことが出来ました。
私にとっての初海外は留学という形でした。
何もかもが初で、バスに乗って通学をするも、スーパーで日用品を買うも、
現地の友だちと休日遊ぶために電車に乗ったり。
日本で普通にできていたことすら刺激的で、
自分にとってとても有意義な留学でした。
同時に日本の技術の高さ、安全さを思い知るいい機会にもなりました。
もちろんあっちでの会話は英語で、オーストラリア英語は少し訛りがあります。
最初は耳が慣れなくて何度もホストファミリーに聞き直しましたが、
1週間もすれば耳も慣れ、聞き取るということは困難ではなくなります。
ただ会話ができない。
思い浮かんでいるのですが、口にできないんです。
話すのが怖いんです。自信がなかったんです。
海外の方と話すことはたまに学校にELTとして教えに来てくれる先生と授業中に話すことくらいしか
したことのなかった私にとっては、
もし文法がぐちゃぐちゃで無視されたらどうしよう。や
アジアって差別受けるのかななどいろいろ思いを巡らせているうちに何も発言せずに1日そしてまた
1日と過ぎていきました。
あちらの大学での授業も理解はできるが参加はできていない。
これでは留学を棒に振ってしまう。
と本気で思った自分は積極的にホストファミリーや、大学の生徒、バスの運転手さんに話しかけました。
日本語ではない言語で会話できる感覚はどこか不思議で、ただどこか嬉しくて。
いずれまた行くと誓って今に至ります。
ここで分かったことは、
①自意識過剰になりすぎることはよくない。
→ネガティブ変換されやすいです。
②自分を発信しないと社会では認知されない。
→社会に出て感じます。自分が感じていること、思っていること。
発信しなければ、辛いのか嬉しいのか、わかってくれる人は本当に特殊な能力を持った一握りで、
大体は自分主体で物事を進めていかれる方々が多いと感じますので、
自己を発信するということとても大切です。
③やっぱり日本の技術、安全面。すごい!!!
→電車1つ取ってもそうです。こっちの電車は隙間風などほとんど感じませんよね?
あっちではドア付近に立つと寒いくらいでした。
(10年ほど前の話なので、改善されていると思います。これを見て気を悪くしてしまった方、申し訳ありません)
留学の話は今度また詳しく書きますね!
そんな自分が帰ってきて、3年生。
選んだゼミはコミュニケーションを学ぶゼミでした。