2011年8月20日(土)の記事を転載
※この記事は文字数制限のため元記事を2分割し投稿しています。この記事は前半です。
本ブログの忠実な愛読者は忘れてはおるまい。東日本大震災シリーズの前に私が予告していたテーマが「牧師の召命」であったことを(2011年3月9日の記事)。この二日後の3・11に大震災があり、急遽テーマを変更してこれまでお届けしてきた。大震災については本ブログ史上これまでにない想定外の長編シリーズとなった。というわけで、遅ればせながら予告通り「牧師の召命」に関する論考をここにお届けする。「私は牧師になど興味ない」という人でも「召命」(ライフワーク・天職)には興味があるだろう。
◆『ジョン・ストット-福音主義思想と生活の模範示した生涯』
(Christian Today 2011年08月05日)
生涯をミニストリーに献身
先月27日、90歳で死去した世界的福音伝道者で著者でもあるジョン・ストット博士について、「福音主義キリスト教徒の模範となる生を示した人物」として称賛の声が寄せられている。米クリスチャン・ポスト(CP)が報じた。
ジョン・ストットミニストリーズプレジデントのベンジャミン・ホマン氏は「ジョン・ストット博士が人々の間で名を覚えておいてほしいと思っておられるかどうかはわかりません」とストット博士の謙遜なイエス・キリストの栄光のみを表そうとして生きた生涯について語った。
ストット博士を知る周囲の人々は口をそろえて同氏の人格を「謙遜な人物であった」と称賛している。ホマン氏は「ジョン・ストット博士と交流した人々はいつも彼を謙遜な人であり、イエス・キリストと人々との関係性を自身を通してとりなそうとして来られた方であると評価してきました。ジョン・ストットミニストリーズは決して彼の行いや教えを広めようとして開始されたものではありませんでした。教会の焦点を世界中のイエス・キリストの働きに向けるものとして活動が展開され、どのように教会が成長し、また世界中の教会で深く成熟した発展をしていくのに何が必要なのかを模索してきました。私はジョン・ストット博士はひとりのグローバルなクリスチャンとして名を遺す人物であると思っています」と述べた。
英聖公会聖職者としてジョン・ストット氏は生涯をロンドン都心部で過ごした。ストット博士の著書やミニストリーの働きは世界中数百万人もの人々に影響を与えてきた。
著書は50冊以上にも及び、キリスト教の信仰の核心、イエス・キリストの復活と十字架とは何かを明確に力強い方法で説明する神学者であった。
米国内のストット博士の著書の主な出版社であるインターバーサティ・プレス出版者のボブ・フリリング氏はストット博士について「牧師であり教師でもある方として、キリスト教の教えの黄金律を示したのみではなく、彼のクリスチャンとしての人格そのものが真実と神性のモデルとなる姿でした」と述べている。
ホマン氏によると、ストット博士は自身の著書を自分の子どものように見なしていたという。数年前、ストット博士は米国内のある教会で講演を行ったとき、ストット博士を紹介した男性が50冊以上のストット博士の著書を壇上に積み重ねたという。ストット博士は積み重なっている自身の著書を見つめて、「これらは私の子どもたちです」と述べたという。
ストット博士は自身のミニストリーに献身する時間に人生のできる限り多くの時間を費やしたかったことから、生涯独身を貫いた。ストット博士が生涯独身で生きると言う決断について、周囲の人から見ても自身が後悔したような面は見られなかったという。
ロンドンを拠点とする国際ランガム・パートナーシップディレクターのクリス・ライト博士は「ストット博士は神の僕として謙遜な方でした。いつも自身のことをイエスに従う普通の人間に過ぎないと表現されていました。そして私たちは賛辞を言われるのに慣れてしまってはいけないとも言われていました。決して自身が有名になることを喜ばず、ただイエスの使徒のひとりとして見なされることを好まれました」と述べている。
ランガム・パートナーシップを設立したストット博士は世界中の教会において新約聖書を基本とした聖書信仰による福音主義の教えを明白に伝え、実践していくことに重きを置いてきた。ランガム・パートナーシップは米国ではジョン・ストット・ミニストリーズとして知られている。
ライト博士は、ストット博士の最後の著書となった「The Radical Disciple: Some Neglected Aspects of Our Calling(一途な使徒-私達の召命で見過ごされている点)」について、彼の最後となる作品としてふさわしいものであったと言及している。同書では福音主義指導者としてのストット博士が生涯において葛藤した問題について書かれている。
1978年からストット博士と個人的な付き合いのあるライト博士は、「ストット博士はとても規律正しい人でした。独身で妻も家族もありませんでしたが、大変献身された生き方をされておられました。晩年には、毎日5時か6時に起床し、祈りに多くの時間を費やされておられました。祈りの対象となる人の名前が書かれた長いリストを持っていて、それがストット博士が人々の名前を良く覚える秘訣ともなっていました。ストット博士はいつも数百人の人々の名前を挙げて祈っておられました」とストット博士の献身的な生涯について証しした。
ストット博士は規律正しい日常生活以外にも、年間活動においてもさまざまなミニストリーにおいて自身のキリストに捧げる献身的な生の影響を最大限に発揮するための焦点を当てた活動を繰り広げていた。25年にわたって、ストット博士は一年のうち3カ月を海外で過ごし、各国の大会で講演や説教を行ってきた。また残りの9カ月のうち6カ月はミニストリーで奉仕し、3カ月は著作活動に充てていた。
ライト博士はストット博士の生涯について、「非常に規律正しい個人的な日常生活を送っておられました。生活も質素で小さなキッチンのあるワンベッドルームの部屋に住んでおられました。富や裕福な生活には興味を示されず、とてもシンプルで慎ましい生活を送っておられました。私はストット博士は本当に謙遜に生きた人であったと思います。決して彼の謙遜さには偽りがなく、完全なる謙遜という姿勢を見せておられたと思います」と述べた。
ストット博士は1974年の「ローザンヌ誓約」起草委員長を務めたことで最も良く知られている。「ローザンヌ誓約」は福音主義キリスト教徒の信仰および神学のマニフェストとなり、その後の福音主義キリスト教会のあり方に明確な方向性をもたらした。
ジョン・ストット博士の追悼式は英国内複数個所および米国、オーストラリアでの開催が予定されている。
※写真はジョン・ストット
◆『ジョン・ストット博士追悼式、ロンドンで』
(Christian Today 2011年08月09日)
生涯を通して十字架の生示す
8日、英ロンドンでジョン・ストット博士の追悼式が行われた。追悼式は同氏がもっとも愛し親しんだ福音主義の教会であるオール・ソウルズ・ランガム・プレイスで行われた。英クリスチャントゥディが報じた。
追悼式にはストット博士の友人、親類の他、ストット博士の講演を聞いたことのある人や著書を読んだことのある人などが参列し、参列者で教会中が一杯になった。追悼式の始まる前から、参列者の列が教会から一区画向こうの道までできていた。
列に並んでいたあるクリスチャンは、ストット博士について「彼は非常に、非常に特別な人でした。だからこそ今私はここに並んで参列したいと思っています」と述べた。
追悼式は多くの人々に尊敬されかつ親しまれてきたストット博士の死を悲しむ姿も見られたが、それよりも讃美歌に包まれながら、同氏の神様に栄光を帰した生涯を賛美する感謝の思いが強く表現されていた。
ストット博士を個人的によく知る人たちが追悼式にストット博士の野鳥観察の趣味など個人的なことについてユーモア溢れる証しをし、参列者の心を楽しませていた。
ストット博士は出会う人全てに対し、自身に注目を向けようとするのではなく、イエス・キリストに注目を向けさせようと試みる人物であったことが近しい人々から改めて証しされた。
ストット博士が生前に追悼式での説教を依頼していたランガム・パートナーシップ国際ディレクターのクリス・ライト博士は、ストット博士の遺した業績に敬意を表し、「ストット博士は世界中のキリスト者が倣う模範を生涯において示されました。多くのキリスト教指導者たちが繁栄することばかりに重きを置いて説教を行い、自身を十字架の足元に置くことができないでいた中にあって、ストット博士は自身を十字架の足元に置くことで多くの指導者たちの信仰の一致を招く役割も果たされました」と述べた。
またストット博士が世界の不正に対して義憤を示し、女性を尊敬し、子供たちを愛し、富を拒絶し、神様の創造物の中に喜びを見出した生を送っていたことを証しし、「ジョン・ストット博士は信仰に従順するモデルを示された方でした。『霊の実』をここまで美しく実らせた生涯を送られた方は他にいらっしゃるでしょうか?あらゆる意味で、ストット博士は本当にキリストのようでした」と称賛した。
ライト博士はストット博士に倣って信仰の生を生きようとするクリスチャンたちに、ストット博士が最も求めたことである「教会の一致とキリストが愛されたようにクリスチャンが互いに愛し合う生」を追求するように求め、「ストット博士は十字架を中心に置き、キリストに栄光を返し、キリストの愛への従順を示す生を示されました。(キリストにある)愛に従順し、希望に従順する生を歩んでください」と呼びかけた。
ジョン・ストット博士は7月27日、90歳で死去した。20世紀の世界福音主義思想にもっとも大きな変化を与えた人物として称賛されている。
オール・ソウルズ・ランガム・プレイス教会牧師を1950年から1970年の間務め、クリスチャンの信仰と十字架の意味に関する51冊の著書を世に書き遺した。2005年にはTIME誌で世界で最も影響力のある人物トップ100に選ばれ、2007年には大英帝国勲章CBEを受賞した。
<引用以上>
ジョン・ストットの『信仰入門』は、クリスチャン、ノンクリスチャン問わず、すべて理屈っぽい人におすすめしたい一書である。
◆『ハ・ヨンジョ牧師死去、日本宣教に情熱』
(Christian Today 2011年08月02日)
「ラブソナタ」「ACTS29」で精力的に活動展開
韓国オンヌリ教会牧師のハ・ヨンジョ氏が2日午前8時40分に死去した。脳出血で1日午前4時38分から3時間30分にわたる手術を終え、当初は安定していたものの、容態が急変したため同日午後再度手術を行った。医師たちは最善を尽くし、多くのクリスチャンらが祈り続ける中、天に召された。
ハ・ヨンジョ氏は長年透析治療を受けるなど闘病生活を送っていた中、1日突然の脳出血のため韓国ソウル新村にあるセブランス病院で緊急手術を受けた後、意識不明となり、そのまま意識が回復することはなかった。
ハ・ヨンジョ氏は1965年、韓国大学校教会(CCC)に入り、翌年の夏に開かれた修養会で召命を受け、そこで7年間奉仕、1976年に牧師按手を受けた。按手を受ける2年前から芸能人たちと聖書勉強を始めていたが、按手と同時に芸能人教会を開拓した。当時同氏は1日4時間ずつ寝て、7回説教する徹夜・断食祈祷を続けていたという。
芸能人教会の会堂が完成する1980年、ハ・ヨンジョ氏は体調が悪化し、検査したところ肝硬変と判明。辞任後、英国に渡った。英国で彼は多くの宣教団体や教会、学校に接し、そこで得た経験を活かして1985年、韓国に戻ってオンヌリ教会を創立した。
以後20数年間、オンヌリ教会は韓国全土と全世界に拡大、CGNTVも設立した。近年には日本や台湾などで、アジア圏に宣教するための伝道集会「ラブソナタ」と「ACTS29」のビジョンにも導かれ、精力的に活動していた。
東日本大震災ではCGNTVを通して、「愛する日本の信徒の皆さん、主の慰めと祝福をお祈りいたします。今回起こった地震と津波そして原発事故は、人類の歴史上、類のない大きな出来事でした。『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。わたしがあなたの神だから。わたしの義の右の手で、あなたを守る』という御言葉のように神様を見上げ、神様を信頼する機会となるように願います。日本は世界経済の大国としてまた技術大国として名声を博しました。しかし日本が行うべきもう一つの働きは、霊的影響を与える霊的強国を作ることです。日本で起こった出来事は日本が新しくなる機会となり、リバイバルのきっかけとなり日本は世界に影響を与える偉大な国家へと生まれ変わるでしょう。このことを通して皆さんは新しく生まれ変わり、本当に偉大な国家へとまた偉大なキリスト教へと生まれ変わるでしょう。神様の栄光と祝福を期待してください。神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますように」とメッセージを送っていた。
著書には『使徒行伝的教会を夢見る』、『私は宣教に命をかけた』、『説教辞書』、 『ビジョン聖書辞書』、『祈れば幸せになります』や、講解説教シリーズなどがある。
<引用以上>
※写真はハ・ヨンジョ
世界的に多大な影響をもたらした牧師たちが立て続けに天に召された。残念に思う反面、天国に行く楽しみがまた増えた。私たちはそこで彼らに会える。
もし私が死んだら、人は私をどのように評してくれるだろうか? 私は神の評価だけを求める。私が聞きたいのは次の主の言葉だ。
◆『民主・土肥氏、竹島放棄要求の会見に出席=菅首相「大変遺憾」』
(時事通信 2011年3月9日)
民主党の土肥隆一衆院議員が先月27日に「日韓キリスト教議員連盟」の日本側会長として訪韓し、日本政府は竹島(韓国名・独島)領有権の主張をやめるべきだとする同連盟の共同宣言を発表した記者会見に出席していたことが9日、明らかになった。土肥氏は取材に対し、事実関係を認めた上で「発表の場にいたことはうかつだった。共同宣言の内容をよくチェックすべきだった」と述べた。
日本政府は竹島を「固有の領土」としている。これについて、土肥氏は「政治的には日本の領土だが、話し合いはすべきだ」と述べ、交渉で解決すべきだとの考えを示した。
土肥氏は、民主党の菅直人首相グループの幹部。首相は9日夜、土肥氏の行動について「大変遺憾に思っている。竹島は日本固有の領土だ」と不快感を表明。「しかるべき形で対応することが必要だ」と述べ、事実関係を調査する考えを示した。
一方、自民党の大島理森副総裁は同日、党本部で記者団に「わが国の国会議員としてあるまじき恥ずべき行為だ。許されることではない」と土肥氏を批判した。
◆『民主・土肥氏が政倫審会長辞任=竹島問題で引責―首相側近、政権また打撃』
(時事通信 2011年3月10日)
民主党の土肥隆一衆院議員は10日夕、衆院議員会館で記者会見し、竹島(韓国名・独島)の領有権主張の中止を日本政府に求めた共同宣言文を韓国の議員とともに発表した問題で、「政治的責任は免れない。全ての役職を辞退したい」と述べ、衆院政治倫理審査会会長と党常任幹事会議長の役職を辞任する意向を表明した。
土肥氏は、菅直人首相グループの幹部。野党側は「国会議員として不適格」として土肥氏を厳しく批判し、首相の責任も含めて追及。土肥氏の問題は、菅政権への新たな打撃となり、首相の対応も問われそうだ。
土肥氏は先月27日に「キリスト教議員連盟」の日本側会長として訪韓。「日本政府は歴史教科書の歪曲(わいきょく)と竹島領有権主張で平和を傷つけようとする試みを中止しなければならない」などとする共同宣言文に名を連ねた。
会見で土肥氏は「共同宣言の文面を十分に精査しなかった」と釈明。「キリスト者として(韓国側と)交流しており、あまり国家を背負った意識はなかった」と述べた。一方で、韓国による竹島の実効支配については「不法占拠だ」と明言。「国民、関係者におわびしたい」と陳謝したが、議員辞職は否定した。土肥氏はこの後、国会内で岡田克也幹事長に対し、常任幹事会議長の辞表を提出、受理された。
これに関連し、首相は10日の参院予算委員会で自民党の世耕弘成氏の質問に答え、土肥氏の行動について「極めて遺憾だ。竹島はわが国固有の領土であり、そのことは変わりない事実だ」と強調。この後、記者団に「全ての役職を辞任することで一つのけじめを付けたと思うが、強く戒めとしてもらいたい」と語った。
■竹島領有権放棄問題とは?
2011年(平成23年)2月27日、日韓キリスト教議員連盟の日本側会長として、竹島領有権の放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名し、韓国の国会で韓国の議員らと記者会見を行った。
「竹島領有権主張問題 共同宣言文の骨子」
一、日本は恥ずかしい過去に対し、歴史の真相を糾明し、日本軍慰安婦、サハリン強制徴用被害者など、歴史の被害者に対する妥当な賠償措置を履行しなければならない。両国の善隣関係は、真実の謝罪と賠償が出発点となる。
一、日本は、平和憲法改正と軍国主義復活の試みを直ちに中断しなければならない。
一、日本政府は歴史教科書歪曲と独島(注、竹島の韓国名)の領有権主張により、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない。
3月9日になってこの事実は明らかになり、問題化した。土肥は第一報を報じた産経新聞の取材に対し「個人的には、竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」と語った。波紋はまたたく間に広がり、9日夜の首相ぶらさがり会見で、菅首相は土肥の行動に対し、「大変遺憾」と語った。土肥はマスコミ各社のインタビューを受けたが「個人的には竹島は日本の領土とは一概には言えないと思っている。日韓両国が互いに自国の領土と主張すれば、問題はいつまでも解決しない(朝日新聞)」、「(竹島は)政治的には日本の領土だが、話し合いはすべきだ(時事通信)」、「竹島は日本の領土との認識に変わりはないが、日韓双方の主張があり、韓国側の主張にも納得できる部分もある(読売新聞)」、「(竹島に関してはどのように?)それはもう、日本の領土ですよ。あの文章はやっぱりね、今読み直してみても、相当一方的だなということは感じるけれども。その場にのまれたっちゃあ、のまれたし。こんなにマスコミに取り上げられるとは思ってもみなかったからね。まぁ、うかつでした(FNN)]」等ニュアンスがバラバラの発言を行っている。民主党内からも批判が相次ぎ、渡辺周は「まったくの見当違いで撤回すべき」「放置してしまうと党として黙認したことになりかねない」と指摘した。この問題で2011年3月14日離党届けを出し、翌15日承認された。
<以上ウィキペディアより抜粋>
◆『土肥衆院議員、民主党を離党 竹島文書問題』
(朝日新聞 2011年3月15日)
民主党は15日の常任幹事会で土肥隆一衆院議員の離党を了承した。これに伴い、衆院会派「民主党・無所属クラブ」は土肥氏の会派離脱届を衆院事務局に提出した。土肥氏は竹島の領有権主張を中止する内容の文書に名前が載ったことの責任を取り、10日に衆院政治倫理審査会会長の辞任を表明していた。
土肥氏は15日に神戸市で開いた記者会見で「政治家として配慮が足りなかった。一人の議員として何をすべきか、今後のことはじっくりと考えていきたい」と語った。民主党が東日本大震災の対策に取り組む中の離党については「統一地方選を抱え、影響が非常に大きいので、なるべく早い方がいいと思った」と語った。
●土肥隆一氏のプロフィール(ウィキペディアより)
土肥 隆一(どい りゅういち、1939年2月11日 - )は、日本の牧師、政治家。日本統治時代の朝鮮京城府(現在の大韓民国ソウル)出身。日本社会党出身の民主党所属の衆議院議員(7期)。民主党倫理委員長。国のかたち研究会(通称:菅グループ)代表、世界宣教東京大会顧問。
1939年(昭和14年)、日本統治時代の朝鮮・京城府に生まれる。 福岡県立修猷館高等学校卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学院修了後、日本基督教団所属の牧師として宗教活動を行う。
日本社会党所属の衆議院議員・河上民雄(河上丈太郎の子)の秘書をつとめた縁で、河上の引退後に地盤を引き継ぐ。所属政党は現在までに日本社会党(1990年-1995年)、民主改革連合(1995年-1998年)、民主党(1998年-)。
民主改革連合では幹事長を務めた。社会党では右派で、公認漏れとなった左派の岡崎宏美とは総選挙で3度にわたって争った。
現在も日本基督教団の現役の牧師として、理事長を務める社会福祉法人傘下の授産施設「恵生園」(兵庫県朝来市)に併設された「和田山地の塩伝道所」で説教を行っている。
<以上>
土肥隆一氏は、衆議院議員でありながら現役の牧師であることを公言している。果たして両立できるだろうか?
1916年ロンドン大学付属高校夏季試験で頭角を現し、同年10月ロンドンの最古・最大の聖バーソロミュー病院に医学生として16歳で入学。5年後内科医と外科医の資格を取得。異例の若さで宮廷医師大学会員に。1923年、高名な宮廷侍医ホーダー卿の主任臨床助手に。彼はこの頃23歳で回心。1927年1月、幼なじみで18か月年長の医師ベサン・フィリップスと結婚。召命を受け年間3500ポンド以上の報酬を受け取る将来を約束された経歴に背を向け、1927年年間225ポンドの報酬のアベラボンのサンドフィールズ教会に赴任。彼は言った。「私は開拓伝道をするため意図的に南ウェールズの93人の会員の小さな伝道センターヘ行った。私は何も捧げなかったがあらゆるものを受けた。福音の伝達者であることは神が人にお与えになる最高の栄誉であると思う」と。
彼こそ、講解説教の名手デイヴィッド・マーティン・ロイドジョンズである。次のロイドジョンズの言葉を土肥氏にお伝えしたい。「説教は人が召されてする働きだというだけでなく、例外的な状況を除き、自分の全時間を占めるべき事柄だというのが私のおもな論点です。説教はいわば片手間にすることはではありません。それは説教に対する誤ったアプローチであり態度です。」最高峰の医師として栄誉を捨てて、神の召命に従い、フルタイムの牧師となったロイドジョンズ。「私にとって説教は、人が召されてすることのうちで最も偉大で栄光に富んだものである」と語ったロイドジョンズは、20世紀最大の説教者として未だ語り継がれている。肉的いのちをあずかる医師と霊的いのちをあずかる牧師。双方とも片手間では満足に務まらない。二束のわらじ、掛け持ち、兼職はあり得ない。羊飼いをしながら他の仕事が務まるだろうか? 夜眠る以外は一時たりとも羊から目を離すことなどできない。いや幾夜も羊のために夜更かしすることだってある。
土肥氏は民主党から離党しただけで議員を辞職したわけではない。しかし今後は辞職に追い込まれるかもしれない。そうなったら彼は牧師として本格的に講壇に復帰するだろうか? それとも政治家として再起をかけるだろうか? 政治家も牧師も片手間では務まらない。土肥氏は時折教会で説教もするようだが、説教だけが牧師の仕事ではない。たまに羊に餌をあげさえすれば羊飼いの仕事を果たしたことになると考えるのは狂気の沙汰である。牧師の最大の関心事は霊的事柄であって、政治的事柄ではない(無論無関心というわけではない)。正直言って牧仕の私には竹島領有権などどうでもよい。なぜならすべての国は神の領有だからだ。ただし私は韓国が武力行使によって竹島を占有していることに疑問を持っている。本当に自分たちの領土であるならもっと落ち着いて平和的にアプローチしたらよかろう。

日本で3月5日から封切られた映画『アメイジング・グレイス』は、元奴隷船の船長で世界で最も有名な賛美歌『アメイジング・グレイス』を作詞したジョン・ニュートンが英国国教会の牧師となり奉職していた教会で、ニュートンのその証しと賛美歌に信仰を導かれてきた若き政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(1759~1833年)が、奴隷貿易の廃止を目指して闘った20年間を史実に基づいて描いている。ちなみに同映画の試写会は自民党本部で開かれている。果たして政治にも神の驚くべき恵みが必要であることが伝わったであろうか。
1785年、ウィルバーフォースは、劇的回心を体験し、残りの人生をかけて、神のために奉仕することに専念することを誓った。そんな彼が政治から身を引き、牧師に献身すべきか悩み、ニュートン牧師のもとを訪ねる。しかし、ニュートンを始め、彼がアドバイスを求めた人々は、彼に政治の世界にとどまるよう進言した。その後彼は奴隷貿易に反対する議会の運動のリーダーとして尽力し、結果大英帝国にいる全ての奴隷に自由を与える奴隷制廃止法を成立させた。
ニュートンは牧師の召しを受け、ウィルバーフォースは政治家の召しを受けた。両者は共にそれぞれの召しに忠実に従い、与えられた賜物を遺憾なく発揮して神の栄光を最大限現わすことができた。土肥氏は政治家としても牧師としても中途半端で終わろうとしているのか(私は土肥氏のクリスチャン政治家としていくつかの功績は評価している)。
「もしならないでおられるなら、教役者になるな」――これはある牧師が、相談にきた者たちに与えた非常に賢明な忠告である。もしここにいる学生のうちで、新聞の編集者、食料品商、農夫、医師、弁護士、上院議員、王などで満足できる人がいるなら、そのような道を歩ませよう。そのような人は、神の御霊が申し分なく内住しておられる人間ではない。なぜなら、神に満たされた人間は、内なる魂があえぎ求めている仕事以外のことに全くうんざりしてしまうからである。他方、もしあなたがたが次のように言うことができるなら、すなわち、巨万の富を積まれてもイエス・キリストの福音を宣べ伝えることが不可能なような仕事につくことはできないと言うことができ、他の点においても同様申し分ないとすれば、あなたがたは、確かにこの使徒のしるしを持っている。私たちは、もし福音を宣べ伝えなかったらわざわいに遭うと感じていなければならない。
神のみことばが心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになっていなければならない。そうでなければ、たとい教役者となることを引き受けたとしても、私たちはそのことにおいて不幸であり、それに伴って起きる自己否定に堪えることができず、人々に対し満足できる奉仕をほとんどすることができないであろう。私は、自己否定と言う。それは当然のことなのである。真の牧師の仕事は自己否定で満ちているのである。そして、召命に対する愛がなければ、彼はすぎに屈服してしまうだろう。そして、この苦しい仕事をやめてしまうか、不満を抱きながら、この単調な、飽き飽きする仕事を続けるということになろう。
<引用以上>

以上は、19世紀世界最大の教会を牧会し、最も多くの牧師を輩出した牧師学校の校長でもあったC・H・スポルジョンの言葉である。以下に彼の名著『牧会入門』の「教役者への召し」という項目からの抜粋。
「・・・多くの人がその道を見失い、召されていないのに講壇に立ってつまずいている。悲しむべきことであるが、これは実を結ばない牧会活動や私たちの周囲の腐敗した教会から明らかである。召命を見誤るということは、その人にとって恐ろしい不幸である、そして、その人が誤って教役者となっている教会にとって、その失敗は、最も痛ましい苦悩を意味する。理性を持っている人々が、その生存の目的を見誤り、初め全く意図していなかった目的を追求するようになることがなんとしばしば起こることか―このような問題を思いめぐらすことは、奇妙なことでもあり、また苦痛に満ちたことでもある。
牧師としての召命を見誤ることによって、ほとんど考えられないような害悪がもたらされることを思う時、私たちのうちのだれかが自分たちの信任状を調べることに怠慢なのではないかと思って、私は、恐れに圧倒される。そして、私たちが邪魔者になるなら、むしろ疑い深くなって、しばしば信任状の調査をするほうがよいとすら思う。もしある人が、自分が教役者として召されているかどうかを調べたいと思うなら、それをテストする多くの正確な方法がある。その人は、この点について厳密に探求をし、自らを試みた後でなければ教役者となるべきではない。これは、ぜひとも心得なければならないことである。その人の個人的な救いが確実であるなら、さらに教役者として召されているかどうかについて調査をしなければならないのである。前者は、クリスチャンとして不可欠なものであり、後者は牧師として同様に不可欠なものである。回心していない信仰告白と召命のない牧師、いずれの場合も見かけ倒し以外の何者でもない。」
以下にスポルジョンが挙げた4つのテスト項目をまとめる。
「1 天よりの召しの最初のしるしは、そのわざに対する熱心な願い、そのためにはすべてを捨てて顧みないという欲求である。教役者への真の召命には、神が私たちの魂になされたことを他の人々に語りたいという、抗することのできない、圧倒的な願いと激しい渇きがなければならない。」(以下はまとめ。真の牧師の仕事は自己否定で満ちている。払うべき犠牲が徹底的に計算し尽くされた後にも、静かな、明白な決意として残るものでなければならない)
「2 牧師になりたいという熱心な願いとともに、適切に教える能力、その他の公の教師としての任務に必要なある程度の特質を備えていなければならない。」(以下はまとめ。健全な判断力/充実した経験/上品なマナーと豊かな愛情/堅実さと勇気/優しさと同情心/適切に治める管理の賜物/忍耐と不屈の精神/相談相手としての徳性など)
「3 人の召しをさらに立証するためには、すでに述べた賜物を働かせた後、彼の努力によって幾らかの回心のわざがなされているかどうかを見なければならない。もしそうでなければ、彼が教役者として召されていると思ったのはまちがいであったと結論してもよいだろう。そしてそれゆえに、できるだけ早くもとの仕事に復帰してよいのである。」(以下はまとめ。不毛の期間があるとしても、全体として見れば、必ず実があるはずである。魂を少しも神のみもとにもたらさない者が、神によって遣わされたと考えることは困難である)
「4 私たちのテストにおいて、以上の事柄のほかに、さらにしなければならないことがある。牧師に関しての主の御心は、主の教会の祈り深い判断を通して知らされるのである。あなたがたの教役者としての召命の証拠として、あなたがたの説教が神の民に受け入れられるものであることが必要である。」(以下はまとめ。教会の祈り深い判断を通して。説教を通して教会が教化されないのであるなら、その人の召命には疑問符がつく)
※写真はスポルジョン

そして、スポルジョンは前掲書の中で、あの「アメイジング・グレイス」の作詞者で元奴隷船船長のジョン・ニュートン牧師が「牧師の召命」について友人に書いた手紙の内容に心から賛同してこれを引用する。
「私も、あなたと同じように、教役者への正しい召しはどのようなものか、またどのようなものでないかについて、長い間悩みました。しかし、今では、私にとってはそれは容易に解決できる問題になっているように思われます。しかし、おそらくあなたにとってはそうではないでしょう。主が、あなたのケースにおいて、あなた自身にそれを明確にされるまではわからないと思います。私が言いたいことを長々と述べる余裕はありませんが、簡単に言って、それは次の三つのことを含んでいると思います。
1 この奉仕にたずさわりたいという心からの熱心な願い。ひとたび神の御霊によってこのわざに動かされた人は、多くの金銀以上にこれを好みます。たとい、時には自らの至らなさを覚え(この種の召しにおいては、それが神からのものであれば、へりくだりと卑下を伴うものと思います)、それに比べて召命の重要性と困難を思っておじけるようなことがあっても、それをあきらめることができないのです。私はこの点について反省してみることがよいことだと考えます。すなわち、活気にあふれた霊的な状態にいて、説教をしたいという願いが火のように燃えているかどうかということです。もしそうなら、それはよいしるしです。しかし、時々あるように、他の人々に説教したいという非常な熱意を持っていても、自分の魂のうちに神の恵みを求めようとする渇きがほとんどないなら、その熱情は、神の御霊からきているよりも、むしろ利己的なところからきているのではないかと思います。
2 説教したいというこの愛に満たされた願いと、いつでも説教できる用意のほか、しかるべき時期に、賜物、知識、言語を用いる能力がある程度現れてこなければなりません。確かに、もし主がある人を他の人々に教えるために遣わされるとすれば、そのための手段方法も備えられるはずです。私は信じています。多くの人々がこの召命を越えて、あるいは召命以前に説教者として立とうとしていることに問題があるのです。教役者と平信徒のおもな相違は、これらの牧者としての賜物―それはその人自身のためでなく、他の人々を教化するために与えられているものです―にあるようです。しかし私の言いたいのは、これらのものは、しかるべき時期に現れるということです。それは、すぐに現れることを期待すべきではありません。それはだんだんに現れるのです。こうした賜物は、牧会活動のために必要です。しかし、それを前提条件のように願うべきものではありません。あなたにまだ若く、時があります。あなたは、こうした賜物をすでに持っているかどうか、自分自身に問い、思い惑う必要はありません。あなたの願いが不動のものであり、祈りと学びにおいて、主が賜物を与えてくださるのを待ち望んでおればそれで十分です。あなたは、現在まだそれを必要としていないのですから(※スポルジョンによる注:私たちはこのようにはっきり言ってしまうことをためらう。欲望が励まされる前に、賜物がある程度明らかでなければならない。しかし、だいたいにおいて私たちはニュートン氏に同意する。)
3 召命の最終的な証拠となるものは、一連の環境が開かれることです。だんだんその牧会のわざにはいるための現実的な手段、時、場所を示すことにより、召命に対応する摂理の道が開かれることです。そして、この一致が起こるまで、あなたの思いの中にあるためらいがいつも取り去られると期待してはいけないのです。注意していただきたいことは、摂理が最初に現れるのを捕らえようとして性急になるな、ということです。もしあなたをご自身の教役者として奉仕させることが主の御心であるならば、すでに、あなたの場所と奉仕は定められているのです。たといあなたが今それを知らなくても、適当な時期がくれば、それを知るようになるでしょう。あなたが天使のような才能を持っているとしても、主の時がこなければ何もできません。主があなたを通して祝福を与えようと決めておられる人々にあなたを導かれるのでなければ、あなたの才能は何もすることができません。私たちが熱情に燃えている時、思慮深く自らを抑制することは非常に困難です。私たちの心に感じられるキリストへの愛、あわれな罪人たちに対する優しい同情は、ともすれば、私たちを駆り立てて早まった行動をとらせます。しかし、主を信ずるものは急がないのです。私は、約五年間というもの、こうした抑制のもとにありました。時には、たとい路傍説教でもよいから、なんとかして説教しなければならないと思うことがありました。私は、もっともらしく思われることばをみな聞きました。そして、そうでない多くのことばにも耳を傾けたのでした。しかし、恵み深い主は、私が気づかないうちに、私の道を茨でさえぎられました。もし私のなすままに任せていたら、主が御心の時に導こうとされていた、主に豊かに用いられる道に到達することは全く不可能であったことでしょう。今になって私にははっきりわかるのですが、私が駆け出しの教役者であったころ、私の意図はだいたいよいものであったと思いますが、自分を過大に評価していました。また、教役者という偉大な奉仕に必要な霊的判断力と経験を持っていなかったのです。」
<引用以上>
※肖像画はジョン・ニュートン
【奉仕(ミニストリー)の意味】
「御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき・・・。」
神の召しは、私たちを何か特定の奉仕へと召していくものではない。しかし、私たちは神の召しをそのように解釈してしまう。
それは、神の性質に触れることによって、私たちは神のためにしたいことがわかってくるからである。しかし、本質的に、神の召しは、神の性質の現れである。
そして奉仕は、私の性質に合ったものが目に見える形で現されているにすぎない。私たちの使命は、使徒パウロによってはっきり述べられている。
「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき」と。
奉仕は、神への献身があふれ出たものである。厳密に言うなら、奉仕そのものに召されるということはない。
奉仕は、私が神の性質に一致されたことの自然の結果である。奉仕は私の信仰生活においては、当然のことである。
まず神は、私をご自分との正しい関係に導かれる。そこで、私は神の召命を理解し、神への愛のために自ら進んでものごとをなす。これが奉仕である。神に奉仕するということは、神の召命の声を聞いた人の愛のささげものである。
奉仕は、私の性質の現れであり、神の召しは、神の性質の現れである。私が神の性質を受け、神の召命を聞く時、奉仕と献身はともに働くようになる。
神の御子は、私のうちにご自身を啓示される。そして私は、彼への献身のゆえに、日々の営みの中において、神に奉仕をする。
【奉仕(ミニストリー)の秘訣】
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり・・・。」
パウロの奉仕観は、主と同じであった。主は言われる。「わたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。」
そしてパウロは言う。「私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。」
牧師として召された者は、他の人とは違う、と私たちは考えてしまう。
しかし、イエス・キリストによれば、牧師とは、他の人々に仕える人のことを言う。霊的な指導者ではあるが、他の人より上に位置するのではない。
パウロの奉仕の原動力は、人々への愛であった。もし私たちが、単に人のために尽くすという考えで奉仕するとしたら、容易に押しつぶされ、悲嘆に暮れてします。あまりにも人々の反応が冷たいからである。しかし、もし私たちの奉仕の動機が、神への純粋な愛から出ているなら、相手にどんな態度をとられようと、奉仕の妨げとはならない。
パウロの、他の人々に対する確固とした奉仕の姿勢は、イエス・キリストが彼をどのように扱ってくださったかを認識したことによる。「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」私が以前イエス・キリストに対して持っていた悪意、敵意に比べたら、人の私に対する態度など問題ではないというのである。
イエス・キリストは、私の卑しさ、自己中心、罪を知り尽くした上で、私に心から仕えてくださった。このことがわかると、他の人々から受けるどのような侮辱も、主のために人々に仕える私たちの決意を鈍らせることはない。
オズワルド・チェンバーズ
※オズワルド・チェンバーズはスポルジョンの説教を聞いて回心した。
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神の賜物と召命とは変わることがありません。
(ローマ11:29)
本ブログの忠実な愛読者は忘れてはおるまい。東日本大震災シリーズの前に私が予告していたテーマが「牧師の召命」であったことを(2011年3月9日の記事)。この二日後の3・11に大震災があり、急遽テーマを変更してこれまでお届けしてきた。大震災については本ブログ史上これまでにない想定外の長編シリーズとなった。というわけで、遅ればせながら予告通り「牧師の召命」に関する論考をここにお届けする。「私は牧師になど興味ない」という人でも「召命」(ライフワーク・天職)には興味があるだろう。
「回心していない信仰告白者と召命のない牧師、いずれの場合も見掛け倒し以外の何者でもない。」本稿の草案を練る中、「巨星墜つ」ではなく、キリスト教界の巨星が相次いで召天した。
「召命を見誤るということは、その人にとって恐ろしい不幸である。そして、その人が誤って教役者となっている教会にとって、その失敗は、最も痛ましい苦悩を意味する。」
チャールズ・ハッドン・スポルジョン
◆『ジョン・ストット-福音主義思想と生活の模範示した生涯』

(Christian Today 2011年08月05日)
生涯をミニストリーに献身
先月27日、90歳で死去した世界的福音伝道者で著者でもあるジョン・ストット博士について、「福音主義キリスト教徒の模範となる生を示した人物」として称賛の声が寄せられている。米クリスチャン・ポスト(CP)が報じた。
ジョン・ストットミニストリーズプレジデントのベンジャミン・ホマン氏は「ジョン・ストット博士が人々の間で名を覚えておいてほしいと思っておられるかどうかはわかりません」とストット博士の謙遜なイエス・キリストの栄光のみを表そうとして生きた生涯について語った。
ストット博士を知る周囲の人々は口をそろえて同氏の人格を「謙遜な人物であった」と称賛している。ホマン氏は「ジョン・ストット博士と交流した人々はいつも彼を謙遜な人であり、イエス・キリストと人々との関係性を自身を通してとりなそうとして来られた方であると評価してきました。ジョン・ストットミニストリーズは決して彼の行いや教えを広めようとして開始されたものではありませんでした。教会の焦点を世界中のイエス・キリストの働きに向けるものとして活動が展開され、どのように教会が成長し、また世界中の教会で深く成熟した発展をしていくのに何が必要なのかを模索してきました。私はジョン・ストット博士はひとりのグローバルなクリスチャンとして名を遺す人物であると思っています」と述べた。
英聖公会聖職者としてジョン・ストット氏は生涯をロンドン都心部で過ごした。ストット博士の著書やミニストリーの働きは世界中数百万人もの人々に影響を与えてきた。
著書は50冊以上にも及び、キリスト教の信仰の核心、イエス・キリストの復活と十字架とは何かを明確に力強い方法で説明する神学者であった。
米国内のストット博士の著書の主な出版社であるインターバーサティ・プレス出版者のボブ・フリリング氏はストット博士について「牧師であり教師でもある方として、キリスト教の教えの黄金律を示したのみではなく、彼のクリスチャンとしての人格そのものが真実と神性のモデルとなる姿でした」と述べている。
ホマン氏によると、ストット博士は自身の著書を自分の子どものように見なしていたという。数年前、ストット博士は米国内のある教会で講演を行ったとき、ストット博士を紹介した男性が50冊以上のストット博士の著書を壇上に積み重ねたという。ストット博士は積み重なっている自身の著書を見つめて、「これらは私の子どもたちです」と述べたという。
ストット博士は自身のミニストリーに献身する時間に人生のできる限り多くの時間を費やしたかったことから、生涯独身を貫いた。ストット博士が生涯独身で生きると言う決断について、周囲の人から見ても自身が後悔したような面は見られなかったという。
ロンドンを拠点とする国際ランガム・パートナーシップディレクターのクリス・ライト博士は「ストット博士は神の僕として謙遜な方でした。いつも自身のことをイエスに従う普通の人間に過ぎないと表現されていました。そして私たちは賛辞を言われるのに慣れてしまってはいけないとも言われていました。決して自身が有名になることを喜ばず、ただイエスの使徒のひとりとして見なされることを好まれました」と述べている。
ランガム・パートナーシップを設立したストット博士は世界中の教会において新約聖書を基本とした聖書信仰による福音主義の教えを明白に伝え、実践していくことに重きを置いてきた。ランガム・パートナーシップは米国ではジョン・ストット・ミニストリーズとして知られている。
ライト博士は、ストット博士の最後の著書となった「The Radical Disciple: Some Neglected Aspects of Our Calling(一途な使徒-私達の召命で見過ごされている点)」について、彼の最後となる作品としてふさわしいものであったと言及している。同書では福音主義指導者としてのストット博士が生涯において葛藤した問題について書かれている。
1978年からストット博士と個人的な付き合いのあるライト博士は、「ストット博士はとても規律正しい人でした。独身で妻も家族もありませんでしたが、大変献身された生き方をされておられました。晩年には、毎日5時か6時に起床し、祈りに多くの時間を費やされておられました。祈りの対象となる人の名前が書かれた長いリストを持っていて、それがストット博士が人々の名前を良く覚える秘訣ともなっていました。ストット博士はいつも数百人の人々の名前を挙げて祈っておられました」とストット博士の献身的な生涯について証しした。
ストット博士は規律正しい日常生活以外にも、年間活動においてもさまざまなミニストリーにおいて自身のキリストに捧げる献身的な生の影響を最大限に発揮するための焦点を当てた活動を繰り広げていた。25年にわたって、ストット博士は一年のうち3カ月を海外で過ごし、各国の大会で講演や説教を行ってきた。また残りの9カ月のうち6カ月はミニストリーで奉仕し、3カ月は著作活動に充てていた。
ライト博士はストット博士の生涯について、「非常に規律正しい個人的な日常生活を送っておられました。生活も質素で小さなキッチンのあるワンベッドルームの部屋に住んでおられました。富や裕福な生活には興味を示されず、とてもシンプルで慎ましい生活を送っておられました。私はストット博士は本当に謙遜に生きた人であったと思います。決して彼の謙遜さには偽りがなく、完全なる謙遜という姿勢を見せておられたと思います」と述べた。
ストット博士は1974年の「ローザンヌ誓約」起草委員長を務めたことで最も良く知られている。「ローザンヌ誓約」は福音主義キリスト教徒の信仰および神学のマニフェストとなり、その後の福音主義キリスト教会のあり方に明確な方向性をもたらした。
ジョン・ストット博士の追悼式は英国内複数個所および米国、オーストラリアでの開催が予定されている。
※写真はジョン・ストット
◆『ジョン・ストット博士追悼式、ロンドンで』
(Christian Today 2011年08月09日)
生涯を通して十字架の生示す
8日、英ロンドンでジョン・ストット博士の追悼式が行われた。追悼式は同氏がもっとも愛し親しんだ福音主義の教会であるオール・ソウルズ・ランガム・プレイスで行われた。英クリスチャントゥディが報じた。
追悼式にはストット博士の友人、親類の他、ストット博士の講演を聞いたことのある人や著書を読んだことのある人などが参列し、参列者で教会中が一杯になった。追悼式の始まる前から、参列者の列が教会から一区画向こうの道までできていた。
列に並んでいたあるクリスチャンは、ストット博士について「彼は非常に、非常に特別な人でした。だからこそ今私はここに並んで参列したいと思っています」と述べた。
追悼式は多くの人々に尊敬されかつ親しまれてきたストット博士の死を悲しむ姿も見られたが、それよりも讃美歌に包まれながら、同氏の神様に栄光を帰した生涯を賛美する感謝の思いが強く表現されていた。
ストット博士を個人的によく知る人たちが追悼式にストット博士の野鳥観察の趣味など個人的なことについてユーモア溢れる証しをし、参列者の心を楽しませていた。
ストット博士は出会う人全てに対し、自身に注目を向けようとするのではなく、イエス・キリストに注目を向けさせようと試みる人物であったことが近しい人々から改めて証しされた。
ストット博士が生前に追悼式での説教を依頼していたランガム・パートナーシップ国際ディレクターのクリス・ライト博士は、ストット博士の遺した業績に敬意を表し、「ストット博士は世界中のキリスト者が倣う模範を生涯において示されました。多くのキリスト教指導者たちが繁栄することばかりに重きを置いて説教を行い、自身を十字架の足元に置くことができないでいた中にあって、ストット博士は自身を十字架の足元に置くことで多くの指導者たちの信仰の一致を招く役割も果たされました」と述べた。
またストット博士が世界の不正に対して義憤を示し、女性を尊敬し、子供たちを愛し、富を拒絶し、神様の創造物の中に喜びを見出した生を送っていたことを証しし、「ジョン・ストット博士は信仰に従順するモデルを示された方でした。『霊の実』をここまで美しく実らせた生涯を送られた方は他にいらっしゃるでしょうか?あらゆる意味で、ストット博士は本当にキリストのようでした」と称賛した。
ライト博士はストット博士に倣って信仰の生を生きようとするクリスチャンたちに、ストット博士が最も求めたことである「教会の一致とキリストが愛されたようにクリスチャンが互いに愛し合う生」を追求するように求め、「ストット博士は十字架を中心に置き、キリストに栄光を返し、キリストの愛への従順を示す生を示されました。(キリストにある)愛に従順し、希望に従順する生を歩んでください」と呼びかけた。
ジョン・ストット博士は7月27日、90歳で死去した。20世紀の世界福音主義思想にもっとも大きな変化を与えた人物として称賛されている。
オール・ソウルズ・ランガム・プレイス教会牧師を1950年から1970年の間務め、クリスチャンの信仰と十字架の意味に関する51冊の著書を世に書き遺した。2005年にはTIME誌で世界で最も影響力のある人物トップ100に選ばれ、2007年には大英帝国勲章CBEを受賞した。
<引用以上>
ジョン・ストットの『信仰入門』は、クリスチャン、ノンクリスチャン問わず、すべて理屈っぽい人におすすめしたい一書である。
◆『ハ・ヨンジョ牧師死去、日本宣教に情熱』

(Christian Today 2011年08月02日)
「ラブソナタ」「ACTS29」で精力的に活動展開
韓国オンヌリ教会牧師のハ・ヨンジョ氏が2日午前8時40分に死去した。脳出血で1日午前4時38分から3時間30分にわたる手術を終え、当初は安定していたものの、容態が急変したため同日午後再度手術を行った。医師たちは最善を尽くし、多くのクリスチャンらが祈り続ける中、天に召された。
ハ・ヨンジョ氏は長年透析治療を受けるなど闘病生活を送っていた中、1日突然の脳出血のため韓国ソウル新村にあるセブランス病院で緊急手術を受けた後、意識不明となり、そのまま意識が回復することはなかった。
ハ・ヨンジョ氏は1965年、韓国大学校教会(CCC)に入り、翌年の夏に開かれた修養会で召命を受け、そこで7年間奉仕、1976年に牧師按手を受けた。按手を受ける2年前から芸能人たちと聖書勉強を始めていたが、按手と同時に芸能人教会を開拓した。当時同氏は1日4時間ずつ寝て、7回説教する徹夜・断食祈祷を続けていたという。
芸能人教会の会堂が完成する1980年、ハ・ヨンジョ氏は体調が悪化し、検査したところ肝硬変と判明。辞任後、英国に渡った。英国で彼は多くの宣教団体や教会、学校に接し、そこで得た経験を活かして1985年、韓国に戻ってオンヌリ教会を創立した。
以後20数年間、オンヌリ教会は韓国全土と全世界に拡大、CGNTVも設立した。近年には日本や台湾などで、アジア圏に宣教するための伝道集会「ラブソナタ」と「ACTS29」のビジョンにも導かれ、精力的に活動していた。
東日本大震災ではCGNTVを通して、「愛する日本の信徒の皆さん、主の慰めと祝福をお祈りいたします。今回起こった地震と津波そして原発事故は、人類の歴史上、類のない大きな出来事でした。『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。わたしがあなたの神だから。わたしの義の右の手で、あなたを守る』という御言葉のように神様を見上げ、神様を信頼する機会となるように願います。日本は世界経済の大国としてまた技術大国として名声を博しました。しかし日本が行うべきもう一つの働きは、霊的影響を与える霊的強国を作ることです。日本で起こった出来事は日本が新しくなる機会となり、リバイバルのきっかけとなり日本は世界に影響を与える偉大な国家へと生まれ変わるでしょう。このことを通して皆さんは新しく生まれ変わり、本当に偉大な国家へとまた偉大なキリスト教へと生まれ変わるでしょう。神様の栄光と祝福を期待してください。神様の祝福が皆さんの上に豊かにありますように」とメッセージを送っていた。
著書には『使徒行伝的教会を夢見る』、『私は宣教に命をかけた』、『説教辞書』、 『ビジョン聖書辞書』、『祈れば幸せになります』や、講解説教シリーズなどがある。
<引用以上>
※写真はハ・ヨンジョ
世界的に多大な影響をもたらした牧師たちが立て続けに天に召された。残念に思う反面、天国に行く楽しみがまた増えた。私たちはそこで彼らに会える。
もし私が死んだら、人は私をどのように評してくれるだろうか? 私は神の評価だけを求める。私が聞きたいのは次の主の言葉だ。
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』こちらは政界の巨星が輝きを失った記事である。
(マタイ25:21)
◆『民主・土肥氏、竹島放棄要求の会見に出席=菅首相「大変遺憾」』
(時事通信 2011年3月9日)
民主党の土肥隆一衆院議員が先月27日に「日韓キリスト教議員連盟」の日本側会長として訪韓し、日本政府は竹島(韓国名・独島)領有権の主張をやめるべきだとする同連盟の共同宣言を発表した記者会見に出席していたことが9日、明らかになった。土肥氏は取材に対し、事実関係を認めた上で「発表の場にいたことはうかつだった。共同宣言の内容をよくチェックすべきだった」と述べた。
日本政府は竹島を「固有の領土」としている。これについて、土肥氏は「政治的には日本の領土だが、話し合いはすべきだ」と述べ、交渉で解決すべきだとの考えを示した。
土肥氏は、民主党の菅直人首相グループの幹部。首相は9日夜、土肥氏の行動について「大変遺憾に思っている。竹島は日本固有の領土だ」と不快感を表明。「しかるべき形で対応することが必要だ」と述べ、事実関係を調査する考えを示した。
一方、自民党の大島理森副総裁は同日、党本部で記者団に「わが国の国会議員としてあるまじき恥ずべき行為だ。許されることではない」と土肥氏を批判した。
◆『民主・土肥氏が政倫審会長辞任=竹島問題で引責―首相側近、政権また打撃』
(時事通信 2011年3月10日)
民主党の土肥隆一衆院議員は10日夕、衆院議員会館で記者会見し、竹島(韓国名・独島)の領有権主張の中止を日本政府に求めた共同宣言文を韓国の議員とともに発表した問題で、「政治的責任は免れない。全ての役職を辞退したい」と述べ、衆院政治倫理審査会会長と党常任幹事会議長の役職を辞任する意向を表明した。
土肥氏は、菅直人首相グループの幹部。野党側は「国会議員として不適格」として土肥氏を厳しく批判し、首相の責任も含めて追及。土肥氏の問題は、菅政権への新たな打撃となり、首相の対応も問われそうだ。
土肥氏は先月27日に「キリスト教議員連盟」の日本側会長として訪韓。「日本政府は歴史教科書の歪曲(わいきょく)と竹島領有権主張で平和を傷つけようとする試みを中止しなければならない」などとする共同宣言文に名を連ねた。
会見で土肥氏は「共同宣言の文面を十分に精査しなかった」と釈明。「キリスト者として(韓国側と)交流しており、あまり国家を背負った意識はなかった」と述べた。一方で、韓国による竹島の実効支配については「不法占拠だ」と明言。「国民、関係者におわびしたい」と陳謝したが、議員辞職は否定した。土肥氏はこの後、国会内で岡田克也幹事長に対し、常任幹事会議長の辞表を提出、受理された。
これに関連し、首相は10日の参院予算委員会で自民党の世耕弘成氏の質問に答え、土肥氏の行動について「極めて遺憾だ。竹島はわが国固有の領土であり、そのことは変わりない事実だ」と強調。この後、記者団に「全ての役職を辞任することで一つのけじめを付けたと思うが、強く戒めとしてもらいたい」と語った。
■竹島領有権放棄問題とは?

2011年(平成23年)2月27日、日韓キリスト教議員連盟の日本側会長として、竹島領有権の放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名し、韓国の国会で韓国の議員らと記者会見を行った。
「竹島領有権主張問題 共同宣言文の骨子」
一、日本は恥ずかしい過去に対し、歴史の真相を糾明し、日本軍慰安婦、サハリン強制徴用被害者など、歴史の被害者に対する妥当な賠償措置を履行しなければならない。両国の善隣関係は、真実の謝罪と賠償が出発点となる。
一、日本は、平和憲法改正と軍国主義復活の試みを直ちに中断しなければならない。
一、日本政府は歴史教科書歪曲と独島(注、竹島の韓国名)の領有権主張により、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない。
3月9日になってこの事実は明らかになり、問題化した。土肥は第一報を報じた産経新聞の取材に対し「個人的には、竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」と語った。波紋はまたたく間に広がり、9日夜の首相ぶらさがり会見で、菅首相は土肥の行動に対し、「大変遺憾」と語った。土肥はマスコミ各社のインタビューを受けたが「個人的には竹島は日本の領土とは一概には言えないと思っている。日韓両国が互いに自国の領土と主張すれば、問題はいつまでも解決しない(朝日新聞)」、「(竹島は)政治的には日本の領土だが、話し合いはすべきだ(時事通信)」、「竹島は日本の領土との認識に変わりはないが、日韓双方の主張があり、韓国側の主張にも納得できる部分もある(読売新聞)」、「(竹島に関してはどのように?)それはもう、日本の領土ですよ。あの文章はやっぱりね、今読み直してみても、相当一方的だなということは感じるけれども。その場にのまれたっちゃあ、のまれたし。こんなにマスコミに取り上げられるとは思ってもみなかったからね。まぁ、うかつでした(FNN)]」等ニュアンスがバラバラの発言を行っている。民主党内からも批判が相次ぎ、渡辺周は「まったくの見当違いで撤回すべき」「放置してしまうと党として黙認したことになりかねない」と指摘した。この問題で2011年3月14日離党届けを出し、翌15日承認された。
<以上ウィキペディアより抜粋>
◆『土肥衆院議員、民主党を離党 竹島文書問題』
(朝日新聞 2011年3月15日)
民主党は15日の常任幹事会で土肥隆一衆院議員の離党を了承した。これに伴い、衆院会派「民主党・無所属クラブ」は土肥氏の会派離脱届を衆院事務局に提出した。土肥氏は竹島の領有権主張を中止する内容の文書に名前が載ったことの責任を取り、10日に衆院政治倫理審査会会長の辞任を表明していた。
土肥氏は15日に神戸市で開いた記者会見で「政治家として配慮が足りなかった。一人の議員として何をすべきか、今後のことはじっくりと考えていきたい」と語った。民主党が東日本大震災の対策に取り組む中の離党については「統一地方選を抱え、影響が非常に大きいので、なるべく早い方がいいと思った」と語った。
●土肥隆一氏のプロフィール(ウィキペディアより)
土肥 隆一(どい りゅういち、1939年2月11日 - )は、日本の牧師、政治家。日本統治時代の朝鮮京城府(現在の大韓民国ソウル)出身。日本社会党出身の民主党所属の衆議院議員(7期)。民主党倫理委員長。国のかたち研究会(通称:菅グループ)代表、世界宣教東京大会顧問。
1939年(昭和14年)、日本統治時代の朝鮮・京城府に生まれる。 福岡県立修猷館高等学校卒業、東京神学大学大学院修士課程修了。大学院修了後、日本基督教団所属の牧師として宗教活動を行う。
日本社会党所属の衆議院議員・河上民雄(河上丈太郎の子)の秘書をつとめた縁で、河上の引退後に地盤を引き継ぐ。所属政党は現在までに日本社会党(1990年-1995年)、民主改革連合(1995年-1998年)、民主党(1998年-)。
民主改革連合では幹事長を務めた。社会党では右派で、公認漏れとなった左派の岡崎宏美とは総選挙で3度にわたって争った。
現在も日本基督教団の現役の牧師として、理事長を務める社会福祉法人傘下の授産施設「恵生園」(兵庫県朝来市)に併設された「和田山地の塩伝道所」で説教を行っている。
<以上>
政治家は心にもないことを口にするのが常なので、それを真に受ける人がいるとびっくりする。
(シャルル・ド・ゴール フランス第五共和政初代大統領)
「敬天愛人」聖書を愛読した政治家・西郷隆盛の言葉である。
人を相手にせず
天を相手にせよ
道は天然自然の物にして
人は之を行ふものなれば
天を敬するを目的とする
天は人も我も同一に愛し給うゆゑ
我を愛する心を以て人を愛する也
道は天地自然の物なれば
西洋と雖も決して別無し
『西郷隆盛南洲翁遺訓』より
土肥隆一氏は、衆議院議員でありながら現役の牧師であることを公言している。果たして両立できるだろうか?
1916年ロンドン大学付属高校夏季試験で頭角を現し、同年10月ロンドンの最古・最大の聖バーソロミュー病院に医学生として16歳で入学。5年後内科医と外科医の資格を取得。異例の若さで宮廷医師大学会員に。1923年、高名な宮廷侍医ホーダー卿の主任臨床助手に。彼はこの頃23歳で回心。1927年1月、幼なじみで18か月年長の医師ベサン・フィリップスと結婚。召命を受け年間3500ポンド以上の報酬を受け取る将来を約束された経歴に背を向け、1927年年間225ポンドの報酬のアベラボンのサンドフィールズ教会に赴任。彼は言った。「私は開拓伝道をするため意図的に南ウェールズの93人の会員の小さな伝道センターヘ行った。私は何も捧げなかったがあらゆるものを受けた。福音の伝達者であることは神が人にお与えになる最高の栄誉であると思う」と。
彼こそ、講解説教の名手デイヴィッド・マーティン・ロイドジョンズである。次のロイドジョンズの言葉を土肥氏にお伝えしたい。「説教は人が召されてする働きだというだけでなく、例外的な状況を除き、自分の全時間を占めるべき事柄だというのが私のおもな論点です。説教はいわば片手間にすることはではありません。それは説教に対する誤ったアプローチであり態度です。」最高峰の医師として栄誉を捨てて、神の召命に従い、フルタイムの牧師となったロイドジョンズ。「私にとって説教は、人が召されてすることのうちで最も偉大で栄光に富んだものである」と語ったロイドジョンズは、20世紀最大の説教者として未だ語り継がれている。肉的いのちをあずかる医師と霊的いのちをあずかる牧師。双方とも片手間では満足に務まらない。二束のわらじ、掛け持ち、兼職はあり得ない。羊飼いをしながら他の仕事が務まるだろうか? 夜眠る以外は一時たりとも羊から目を離すことなどできない。いや幾夜も羊のために夜更かしすることだってある。
土肥氏は民主党から離党しただけで議員を辞職したわけではない。しかし今後は辞職に追い込まれるかもしれない。そうなったら彼は牧師として本格的に講壇に復帰するだろうか? それとも政治家として再起をかけるだろうか? 政治家も牧師も片手間では務まらない。土肥氏は時折教会で説教もするようだが、説教だけが牧師の仕事ではない。たまに羊に餌をあげさえすれば羊飼いの仕事を果たしたことになると考えるのは狂気の沙汰である。牧師の最大の関心事は霊的事柄であって、政治的事柄ではない(無論無関心というわけではない)。正直言って牧仕の私には竹島領有権などどうでもよい。なぜならすべての国は神の領有だからだ。ただし私は韓国が武力行使によって竹島を占有していることに疑問を持っている。本当に自分たちの領土であるならもっと落ち着いて平和的にアプローチしたらよかろう。

日本で3月5日から封切られた映画『アメイジング・グレイス』は、元奴隷船の船長で世界で最も有名な賛美歌『アメイジング・グレイス』を作詞したジョン・ニュートンが英国国教会の牧師となり奉職していた教会で、ニュートンのその証しと賛美歌に信仰を導かれてきた若き政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(1759~1833年)が、奴隷貿易の廃止を目指して闘った20年間を史実に基づいて描いている。ちなみに同映画の試写会は自民党本部で開かれている。果たして政治にも神の驚くべき恵みが必要であることが伝わったであろうか。
1785年、ウィルバーフォースは、劇的回心を体験し、残りの人生をかけて、神のために奉仕することに専念することを誓った。そんな彼が政治から身を引き、牧師に献身すべきか悩み、ニュートン牧師のもとを訪ねる。しかし、ニュートンを始め、彼がアドバイスを求めた人々は、彼に政治の世界にとどまるよう進言した。その後彼は奴隷貿易に反対する議会の運動のリーダーとして尽力し、結果大英帝国にいる全ての奴隷に自由を与える奴隷制廃止法を成立させた。
ニュートンは牧師の召しを受け、ウィルバーフォースは政治家の召しを受けた。両者は共にそれぞれの召しに忠実に従い、与えられた賜物を遺憾なく発揮して神の栄光を最大限現わすことができた。土肥氏は政治家としても牧師としても中途半端で終わろうとしているのか(私は土肥氏のクリスチャン政治家としていくつかの功績は評価している)。
「もしならないでおられるなら、教役者になるな」――これはある牧師が、相談にきた者たちに与えた非常に賢明な忠告である。もしここにいる学生のうちで、新聞の編集者、食料品商、農夫、医師、弁護士、上院議員、王などで満足できる人がいるなら、そのような道を歩ませよう。そのような人は、神の御霊が申し分なく内住しておられる人間ではない。なぜなら、神に満たされた人間は、内なる魂があえぎ求めている仕事以外のことに全くうんざりしてしまうからである。他方、もしあなたがたが次のように言うことができるなら、すなわち、巨万の富を積まれてもイエス・キリストの福音を宣べ伝えることが不可能なような仕事につくことはできないと言うことができ、他の点においても同様申し分ないとすれば、あなたがたは、確かにこの使徒のしるしを持っている。私たちは、もし福音を宣べ伝えなかったらわざわいに遭うと感じていなければならない。
神のみことばが心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになっていなければならない。そうでなければ、たとい教役者となることを引き受けたとしても、私たちはそのことにおいて不幸であり、それに伴って起きる自己否定に堪えることができず、人々に対し満足できる奉仕をほとんどすることができないであろう。私は、自己否定と言う。それは当然のことなのである。真の牧師の仕事は自己否定で満ちているのである。そして、召命に対する愛がなければ、彼はすぎに屈服してしまうだろう。そして、この苦しい仕事をやめてしまうか、不満を抱きながら、この単調な、飽き飽きする仕事を続けるということになろう。
<引用以上>

以上は、19世紀世界最大の教会を牧会し、最も多くの牧師を輩出した牧師学校の校長でもあったC・H・スポルジョンの言葉である。以下に彼の名著『牧会入門』の「教役者への召し」という項目からの抜粋。
「・・・多くの人がその道を見失い、召されていないのに講壇に立ってつまずいている。悲しむべきことであるが、これは実を結ばない牧会活動や私たちの周囲の腐敗した教会から明らかである。召命を見誤るということは、その人にとって恐ろしい不幸である、そして、その人が誤って教役者となっている教会にとって、その失敗は、最も痛ましい苦悩を意味する。理性を持っている人々が、その生存の目的を見誤り、初め全く意図していなかった目的を追求するようになることがなんとしばしば起こることか―このような問題を思いめぐらすことは、奇妙なことでもあり、また苦痛に満ちたことでもある。
牧師としての召命を見誤ることによって、ほとんど考えられないような害悪がもたらされることを思う時、私たちのうちのだれかが自分たちの信任状を調べることに怠慢なのではないかと思って、私は、恐れに圧倒される。そして、私たちが邪魔者になるなら、むしろ疑い深くなって、しばしば信任状の調査をするほうがよいとすら思う。もしある人が、自分が教役者として召されているかどうかを調べたいと思うなら、それをテストする多くの正確な方法がある。その人は、この点について厳密に探求をし、自らを試みた後でなければ教役者となるべきではない。これは、ぜひとも心得なければならないことである。その人の個人的な救いが確実であるなら、さらに教役者として召されているかどうかについて調査をしなければならないのである。前者は、クリスチャンとして不可欠なものであり、後者は牧師として同様に不可欠なものである。回心していない信仰告白と召命のない牧師、いずれの場合も見かけ倒し以外の何者でもない。」
以下にスポルジョンが挙げた4つのテスト項目をまとめる。
「1 天よりの召しの最初のしるしは、そのわざに対する熱心な願い、そのためにはすべてを捨てて顧みないという欲求である。教役者への真の召命には、神が私たちの魂になされたことを他の人々に語りたいという、抗することのできない、圧倒的な願いと激しい渇きがなければならない。」(以下はまとめ。真の牧師の仕事は自己否定で満ちている。払うべき犠牲が徹底的に計算し尽くされた後にも、静かな、明白な決意として残るものでなければならない)
「2 牧師になりたいという熱心な願いとともに、適切に教える能力、その他の公の教師としての任務に必要なある程度の特質を備えていなければならない。」(以下はまとめ。健全な判断力/充実した経験/上品なマナーと豊かな愛情/堅実さと勇気/優しさと同情心/適切に治める管理の賜物/忍耐と不屈の精神/相談相手としての徳性など)
「3 人の召しをさらに立証するためには、すでに述べた賜物を働かせた後、彼の努力によって幾らかの回心のわざがなされているかどうかを見なければならない。もしそうでなければ、彼が教役者として召されていると思ったのはまちがいであったと結論してもよいだろう。そしてそれゆえに、できるだけ早くもとの仕事に復帰してよいのである。」(以下はまとめ。不毛の期間があるとしても、全体として見れば、必ず実があるはずである。魂を少しも神のみもとにもたらさない者が、神によって遣わされたと考えることは困難である)
「4 私たちのテストにおいて、以上の事柄のほかに、さらにしなければならないことがある。牧師に関しての主の御心は、主の教会の祈り深い判断を通して知らされるのである。あなたがたの教役者としての召命の証拠として、あなたがたの説教が神の民に受け入れられるものであることが必要である。」(以下はまとめ。教会の祈り深い判断を通して。説教を通して教会が教化されないのであるなら、その人の召命には疑問符がつく)
群れの愛に満ちた同意なしに牧師とはなりえない。<引用以上>
主に油注がれた者は、働き場がないということは決してない。
(スポルジョン)
※写真はスポルジョン

そして、スポルジョンは前掲書の中で、あの「アメイジング・グレイス」の作詞者で元奴隷船船長のジョン・ニュートン牧師が「牧師の召命」について友人に書いた手紙の内容に心から賛同してこれを引用する。
「私も、あなたと同じように、教役者への正しい召しはどのようなものか、またどのようなものでないかについて、長い間悩みました。しかし、今では、私にとってはそれは容易に解決できる問題になっているように思われます。しかし、おそらくあなたにとってはそうではないでしょう。主が、あなたのケースにおいて、あなた自身にそれを明確にされるまではわからないと思います。私が言いたいことを長々と述べる余裕はありませんが、簡単に言って、それは次の三つのことを含んでいると思います。
1 この奉仕にたずさわりたいという心からの熱心な願い。ひとたび神の御霊によってこのわざに動かされた人は、多くの金銀以上にこれを好みます。たとい、時には自らの至らなさを覚え(この種の召しにおいては、それが神からのものであれば、へりくだりと卑下を伴うものと思います)、それに比べて召命の重要性と困難を思っておじけるようなことがあっても、それをあきらめることができないのです。私はこの点について反省してみることがよいことだと考えます。すなわち、活気にあふれた霊的な状態にいて、説教をしたいという願いが火のように燃えているかどうかということです。もしそうなら、それはよいしるしです。しかし、時々あるように、他の人々に説教したいという非常な熱意を持っていても、自分の魂のうちに神の恵みを求めようとする渇きがほとんどないなら、その熱情は、神の御霊からきているよりも、むしろ利己的なところからきているのではないかと思います。
2 説教したいというこの愛に満たされた願いと、いつでも説教できる用意のほか、しかるべき時期に、賜物、知識、言語を用いる能力がある程度現れてこなければなりません。確かに、もし主がある人を他の人々に教えるために遣わされるとすれば、そのための手段方法も備えられるはずです。私は信じています。多くの人々がこの召命を越えて、あるいは召命以前に説教者として立とうとしていることに問題があるのです。教役者と平信徒のおもな相違は、これらの牧者としての賜物―それはその人自身のためでなく、他の人々を教化するために与えられているものです―にあるようです。しかし私の言いたいのは、これらのものは、しかるべき時期に現れるということです。それは、すぐに現れることを期待すべきではありません。それはだんだんに現れるのです。こうした賜物は、牧会活動のために必要です。しかし、それを前提条件のように願うべきものではありません。あなたにまだ若く、時があります。あなたは、こうした賜物をすでに持っているかどうか、自分自身に問い、思い惑う必要はありません。あなたの願いが不動のものであり、祈りと学びにおいて、主が賜物を与えてくださるのを待ち望んでおればそれで十分です。あなたは、現在まだそれを必要としていないのですから(※スポルジョンによる注:私たちはこのようにはっきり言ってしまうことをためらう。欲望が励まされる前に、賜物がある程度明らかでなければならない。しかし、だいたいにおいて私たちはニュートン氏に同意する。)
3 召命の最終的な証拠となるものは、一連の環境が開かれることです。だんだんその牧会のわざにはいるための現実的な手段、時、場所を示すことにより、召命に対応する摂理の道が開かれることです。そして、この一致が起こるまで、あなたの思いの中にあるためらいがいつも取り去られると期待してはいけないのです。注意していただきたいことは、摂理が最初に現れるのを捕らえようとして性急になるな、ということです。もしあなたをご自身の教役者として奉仕させることが主の御心であるならば、すでに、あなたの場所と奉仕は定められているのです。たといあなたが今それを知らなくても、適当な時期がくれば、それを知るようになるでしょう。あなたが天使のような才能を持っているとしても、主の時がこなければ何もできません。主があなたを通して祝福を与えようと決めておられる人々にあなたを導かれるのでなければ、あなたの才能は何もすることができません。私たちが熱情に燃えている時、思慮深く自らを抑制することは非常に困難です。私たちの心に感じられるキリストへの愛、あわれな罪人たちに対する優しい同情は、ともすれば、私たちを駆り立てて早まった行動をとらせます。しかし、主を信ずるものは急がないのです。私は、約五年間というもの、こうした抑制のもとにありました。時には、たとい路傍説教でもよいから、なんとかして説教しなければならないと思うことがありました。私は、もっともらしく思われることばをみな聞きました。そして、そうでない多くのことばにも耳を傾けたのでした。しかし、恵み深い主は、私が気づかないうちに、私の道を茨でさえぎられました。もし私のなすままに任せていたら、主が御心の時に導こうとされていた、主に豊かに用いられる道に到達することは全く不可能であったことでしょう。今になって私にははっきりわかるのですが、私が駆け出しの教役者であったころ、私の意図はだいたいよいものであったと思いますが、自分を過大に評価していました。また、教役者という偉大な奉仕に必要な霊的判断力と経験を持っていなかったのです。」
<引用以上>
※肖像画はジョン・ニュートン
【奉仕(ミニストリー)の意味】
「御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき・・・。」
神の召しは、私たちを何か特定の奉仕へと召していくものではない。しかし、私たちは神の召しをそのように解釈してしまう。
それは、神の性質に触れることによって、私たちは神のためにしたいことがわかってくるからである。しかし、本質的に、神の召しは、神の性質の現れである。
そして奉仕は、私の性質に合ったものが目に見える形で現されているにすぎない。私たちの使命は、使徒パウロによってはっきり述べられている。
「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき」と。
奉仕は、神への献身があふれ出たものである。厳密に言うなら、奉仕そのものに召されるということはない。
奉仕は、私が神の性質に一致されたことの自然の結果である。奉仕は私の信仰生活においては、当然のことである。
まず神は、私をご自分との正しい関係に導かれる。そこで、私は神の召命を理解し、神への愛のために自ら進んでものごとをなす。これが奉仕である。神に奉仕するということは、神の召命の声を聞いた人の愛のささげものである。
奉仕は、私の性質の現れであり、神の召しは、神の性質の現れである。私が神の性質を受け、神の召命を聞く時、奉仕と献身はともに働くようになる。
神の御子は、私のうちにご自身を啓示される。そして私は、彼への献身のゆえに、日々の営みの中において、神に奉仕をする。
【奉仕(ミニストリー)の秘訣】
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり・・・。」
パウロの奉仕観は、主と同じであった。主は言われる。「わたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。」
そしてパウロは言う。「私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。」
牧師として召された者は、他の人とは違う、と私たちは考えてしまう。
しかし、イエス・キリストによれば、牧師とは、他の人々に仕える人のことを言う。霊的な指導者ではあるが、他の人より上に位置するのではない。
パウロの奉仕の原動力は、人々への愛であった。もし私たちが、単に人のために尽くすという考えで奉仕するとしたら、容易に押しつぶされ、悲嘆に暮れてします。あまりにも人々の反応が冷たいからである。しかし、もし私たちの奉仕の動機が、神への純粋な愛から出ているなら、相手にどんな態度をとられようと、奉仕の妨げとはならない。
パウロの、他の人々に対する確固とした奉仕の姿勢は、イエス・キリストが彼をどのように扱ってくださったかを認識したことによる。「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」私が以前イエス・キリストに対して持っていた悪意、敵意に比べたら、人の私に対する態度など問題ではないというのである。
イエス・キリストは、私の卑しさ、自己中心、罪を知り尽くした上で、私に心から仕えてくださった。このことがわかると、他の人々から受けるどのような侮辱も、主のために人々に仕える私たちの決意を鈍らせることはない。
オズワルド・チェンバーズ
※オズワルド・チェンバーズはスポルジョンの説教を聞いて回心した。