僕はと言えば、中畑清よりも絶好調だ。
さて、僕がアホ全開だった城陽高校1年の頃、苗字が押目(おしめ)と言う同級生がいた。
今日はその押目との物語だ。ちなみに、僕も押目も高校の1年生を2回している。
留年と呼んでいたが、同級生からはダブリと言ってバカ扱いされた。
いや、バカだから留年するのだ。でもダブリの良い所は、ジブリに似ている。
森の中から傘をさして、ダブリが出てくる、、、みたいな。
当時、僕は留年と書くのを、『流年』と書いて、先生に気を使わせた。
2回目1年の時の担任は、
『まあ、進級が流れたから留年するので、間違いではないけどねぇ。』と言ってくれた。
間違いやん!
さてさて、押目が僕の家に泊まりに来た夜のこと。僕たちは退屈を好奇心に変えた。
押目『あおや、俺の母校に忍びこまへん?』
僕『面白そうやね♫行ってみる?』
当時は夜でも門の鍵は閉まっていない学校もあったし、昼間、校庭では部外者でも遊べた時代だ。
夜中12時頃、僕と押目は自転車を30分こいで、宇治田原から南城陽中学まで急いだ。
南城陽は押目の出身中学だが、押目の中学でのアダ名は、『オムツ』か『パンパース』だったらしい。
高校でも先輩からオムツと呼ばれていたが、祖先を恨むことも出来ない。
僕らは簡単に校庭に入れた。そして部室へと向かった。僕は中学はテニス部だったので、男子テニス部の部室へ。
僕『テニス部見るわ!』
押目『俺は女子テニス部見るわ!』
部室の鍵も開いていた。何か文字が書いてある。僕も部室には『全国制覇』とか『目指せ日本1』とか書いていたものだ。
そんな想い出に浸っていると、押目が校庭から何やら歌っている。
出てみると、押目は女子テニス部員の格好をしながら、校庭を自転車で走っている。
白いスコートをなびかせて。
スコートからは、すね毛の足。
思春期の僕は、変態が現れた!とは思わず、爆笑してしまった。
押目はトラックを回りながら、その格好のまま大声で歌っている。
押目『盗んだぁバイクでぇ走り出す〜行く先の〜分からぬまま〜♫』
僕は思った。尾崎豊の曲をけがすな!と。
しかも、盗んだバイクではない。盗んだスコートだ。
僕らは1時間ほど遊んで帰ったが、さすがに帰りは押目、着替えていた。
着替えていなかったら、確実に捕まっていたと思う。
そんな押目は今、ゼネコンで働いているが、当時よく押目と行った喫茶店、
リチャードやリバプールを思いだし、目を細める。
嵐山あおや