本当にありがとう☆
さて、昔の事を書く。
僕が24歳の時だ。
自分の部屋にいたら父親に呼ばれた。ちょっと部屋に来いと。
僕はなんやろぅ、くらいに思い行くと、母親と親戚のおじさん2人が座っていた。
僕が腰を下ろすと、母が突然、泣き出した。
母『この話は墓場まで持って行くつもりやったのに、、、もういやや、、、』
僕は悲痛な母の叫びに、これは大変な事が起きる、と思った。
父が切り出した。
『お前はもう、気付いていると思うけど、、、実はな、お前は、うちの子と違うねん。』
僕はその言葉の意味がすぐに理解出来ず、父に尋ね返した。
僕『どういう事?』
父『お前は、もらって来た子やねん。』
母が泣き崩れた。
僕『う、うそや、、、』
この時の僕の思いは、それは複雑で、深い穴の中に突き落とされたような感覚に陥り、
目の前が真っ暗になりグルグルと目が回り、自然と涙が出て来て止まらなかった。
僕『もっと早いこと言うてくれてたら、親孝行したのに、、、』
なぜかそんな言葉を口に出し、僕は走って玄関を出て、空を見上げて泣いた。
しばらく、空を見上げて泣いていた。
そう思えば、僕が小学生3年の頃、親の血液型と自分の血液型を書いてくる課題があった。
その時、母や父に血液型を聞き、僕のも聞いたけど、父は黙して答えず、
母がやたらAかなぁBかなぁとか話をしていて、結局、母と父と僕の血液型は分からないと母が言いはり、
僕は激怒して、母たちに当たり散らした。
そんな事も分からないのか、学校で聞かれてるのに、って。
その時の母の心は必死で、墓場まで隠そうとしていた事がよく分かる。
ごめんな、おかん。ものふごく聞いて。
そのおかんも、10数年前に他界したが、僕にとって最高のおかんであり、正真正銘のおかんだった。
僕のおかんは、その人、ただ1人だ。
僕がなぜ生まれて来たかというと、大阪は船場の着物屋の若旦那が、嫁ではない使用人に手を出し、
その女の人が妊娠してしまい、たまたま生まれて来た子だった。
だから僕を捨てたのだが、でも僕は顔も知らない、この船場の若旦那と、その女の人に一言いいたい。
産んでくれてありがとう。
そして、僕の本当のおとんと、おかんに巡り会わせてくれて、本当にありがとう、と。
そのおとんは83歳で、宇治の山奥に1人で住んでいるが、ありがたい事に元気で、
何度も嵐山に来て一緒に住もうと誘っても、ワシは生まれたこの家で死ぬんや、と男を通している。
孫とキャッチボールをする、僕のおとんです。春かな。
不思議な事に、もらい子本人って、自分がもらい子って気付かない人がほとんどなんですって。
それは大事に育てられてるから、まさか、そんな境遇とはって疑いもしないから。
僕も、まさにその通りで、カケラも疑いなく、実の親子だと信じていた。
いや、もう、実の親子以上に親子だ。
そうなんだ。
今日、これからおとんに電話しよう。何を聞くでもなく、ただおとんの声を聴こう。
ゆっくり、おとんが喋り終わるまで、うんうん、と言って、子供みたいにおとんの話を聴こう。
さあ、早くかけたいので、これで終わり。
みなさん、今日も良い日に、どうか☆
嵐山あおや
