「楽しそうですね」 | 今村健一郎(愛知教育大学 哲学教員)のブログ

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今日、やや久しぶりに会った女子学生に、開口一番「楽しそうですね」と言われた。「こんにちは」も「お久しぶりです」もなく、いきなり二十歳そこそこの女子学生に「楽しそう」と言われてしまう四十路のおっさんなんだな自分は・・・と思いつつも、さほど悪い気はしない。
 実は以前にも私よりずいぶん年少の同僚の女性教員に「いつも楽しそう」と言われたことがある。女性にとって、なんかいつも楽しそうにしてる年上のおっさんって何なんだろう・・・なんて考えても仕方ないので、それはそれでいい。
 二人の人物から全く別々に同じ指摘をされているのだから、私が楽しそうに見えるのはきっと真実なのだろうと思う。でも私は日々の生活をちっとも楽しんでいないと思うのですが。楽しい自覚が無いのですが。むしろ「俺って不幸」って思ってますが。
 一応大人なんだから機嫌よくするよう努めることを心掛けているし、気難しいという印象を周囲に与えないよう努めてもいるのだが、楽しい気分を醸し出そうとはしていない。でも「楽しそう」って言われるというのは、なぜなのか?
 ひとつ気付いたのは、「楽しそう」と言った二人は、どちらも彼女ら自身が楽しそうな印象を与える人物だということである。自分自身の気分を私の姿に読み込んでいるのではないだろうか?(あるいは「おじさん能天気だね、気楽でいいね」という意味で言っている可能性もあるが)。

 楽しそうに生きている人に「あんた楽しそうだね」と言われるというのは、是認であり祝福である。