当時は1980年代後半のピーク時に比べれば徐々にエントリー台数が減りはじめた時期ではあったんだけど、それでもSP250クラスとかは160台とかは普通に居たし、SP250C❓ 違うか… なんだっけな❓ なんか同じSP250の車両だけど、チャレンジクラス的なクラスがあって、SP250の予選通るか自信のない人達はそっちにエントリーしていたんでソチラのクラスもかなり盛り上がってる時代だった。
SP400、F3、GP250、GP125を入れたら関東選手権自体はかなりの台数で戦っていた時代だったんだよね。
よく見て❗️ 俺が初優勝したのが関東選手権第13戦だよ❗️ その後の最終戦でも優勝して2連勝だったんだけど、関東選手権で年間14戦あったって事だから凄い時代だよね〜😅 もちろん全戦でSP250があったワケじゃないんだけど、SP250、SP400、F3、GP250とかは富士スピードウェイと筑波を転戦するシリーズで、筑波と那須をシリーズ戦にしてたSP125、S50、S80のクラスもあって、当時のバイクレースは異様に盛り上がっていたんだよ。
当時は超ライバル関係だった菊池さん❗️
SUZUKIのスガヤハッカワークスから出場していた強敵❗️ ノービスなのにアパレルのスーパーハッカがスポンサーについていてめっちゃカッコ良かったんだよな〜 あの高そうなハッカのダウンジャケットに憧れたもんだ…
初優勝した関東選手権第13戦は雨☔️ 当時、雨では絶対的な強さを見せていたヨコハマタイヤ勢のスガヤハッカワークスに勝てたのも凄く嬉しかった。 3位のシバウチさんは「コバおめでとう」って言ってくれたけど… 2位のキクチさんはむしろ舌打ちしてるくらいの感じだったかな
そんな菊池さんとは今ではとても仲良しです
Jhaレーシングのアキラちゃんは可愛いルックスとその速さで関東?日本を代表するスーパーノービスとして鈴鹿サーキットでもそのスピードを見せつけて勝ち星を重ねていた❗️ HRCに入るのは宇川か及川か❓って言われてたんだけど… 宇川になっちゃったんだよね。
ま〜これには大人の事情があったから仕方ない。
1990年、最終戦の前にあったバトラックス3時間耐久レースでは予選でトップタイムをマークした俺
沼田さん、及川玲、宇川、柳川組、菊池さん、他… 強敵だらけでめっちゃ燃えてた🔥
スタートからトップを独走してたけど、乾式クラッチのシール部分からオイルが漏れてリタイアだった
バトラックスの勢いのまま迎えた最終戦‼️
初優勝以降、かなり乗れてきた俺は調子も良くて、なんとか最終戦も優勝する事ができた。
2位及川玲 3位池田さん 4位山田さん 5位芳賀健輔 6位長谷川克憲 あれ❓沼田さんは転けたのかな❓
1990年のシリーズランキングは4位だったけど、昇格はせずに翌年もノービスクラスに留まる選択をした。
他の皆んなは国内A級や国際A級に昇格していった。
その後、YAMAHAのOXレーシング、SUZUKIのミラージュ関東、HONDAのコシカワ八千代からオファーがあったけど、俺はHONDAのコシカワ八千代に行く事にした。 タラレバ言えばSUZUKIのミラージュ関東に行ってたら俺の人生はまた違っていたのかもな〜❓ なんてよく考えてた。
1991年はチャンピオンになって、翌年に特別昇格してまた菊池さんや玲ちゃんと全日本選手権で戦う事となった。
ま〜 昔話はこの辺で…
で‼️ 今回、この3人のおじさんが全日本選手権筑波大会のJP250に出場します😄
上の画像1990年… 今から33年前
歳の順だと俺が1番若くて1歳違いで玲ちゃん、菊池さんとなります😅
53歳 54歳 55歳のおじさん達が16歳とかの元気いっぱいの速い子供達と一緒のレースに出るんで、正直成績は期待できませんが… 一生懸命走るので応援してくださいね 頑張ります❗️
昨日も軽くマシンの整備をしてきた。
少し気になるところがあったんでリアの車高を変えてみた。 これでもう少しでも乗りやすくなってくれるといいんだけど…
チョコチョコといじって準備完了‼️
次の練習ではもうちょっとアベレージを上げて行ってベストももうちょっと更新しないとだね。
欲を言えば6秒前半かいろんなタイミングが合えば5秒台とか無理かな〜❓ まぁ、無理して転倒しないレベルで走ってみようとは思ってます。