ご無沙汰してます。



前回は僕、アコースティックは「寛容」であるのではないかと述べたのですが、これでは不十分なのではないかと、いろんな話を聞いて考えた末思いました。




福祉に携わる2人の先輩方にお話を聞いた際、「包摂」という言葉を知りました。





一言で表すなら、「排除」の反対。
「社会的包摂」は「社会的排除」の反対だそうです。(Wikipediaガン見)


社会的な不平等は決して賃金などの表面的なものではなく、人種、ジェンダー、地域環境などの多元的な要素を包含すると。


また、いわゆる「正常」な人々と、上記のコンプレックスに邪魔され、「その他」とされた人たち、いわゆるアウトサイダーとで認識されます。


さらに追い討ちをかけた新自由主義の台頭、中心と周縁との距離は非情にかけ離れていきます。

アウトサイダーたちは「他者化」され、正常なメインストリームの人々から疎まれる存在になったわけです。








「他者化」、なんだか妙に引っかかる。

やはりこれも、一つの物差しで価値観を測った場合の産物でしょう。



ここに個性やバックボーンは尊重されず、結果的に一つの社会に適合できたものとできなかったものとに別れ、評価される。




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話は逸れますが、この種の話を考えているといつも思います、「陰キャラ」ってなんだ?と。


これも一つの価値で人を測った場合に起こることだと思います。

その人の人生、経験、思考、思想、こだわり、愛情、思い出、全て無視して発言者の価値でその人を判断する。








「黒人は俺たちと肌の色が違うからきっと野蛮だし奴隷にしよう」

「韓国人は火病持ちで不快だ、あんな国と交流するなんてバカげてる」

「あの子、部落で生まれてる子だから遊んじゃダメよ」








うーん、なんだか聞き覚えがありますね。

それと同時に体の奥底からこの上ない憤情が滲み出てきます。



世界中でたくさんの人が差別をしてるんです、きっと元から備わってる本能みたいなものなんですかね。


まあ本能ばかりに従ってたら獣と一緒ですけどね。
理性を適切に使えるのが人間だと思ってるんで。



まあここまで大層な話じゃないんでしょうけど、小さな火種でも人を殺す火事は起きる。
(ニコ動でライターの紹介してたおじさんが火の不始末で大火事起こした動画を昨晩見た)


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本題に戻ると、アコースティックが来るもの拒まず、全てを包み込んでいるという文脈で話すならば、この「包摂」という言葉が最も包括的に表現しているのではないかと考えました。



まあこれはアコースティックに限らず、ロックンロールに端を発したアウトサイダー側の音楽文化にも共通して言えるのかも知れませんが。



しかし世界を席巻し、概念化された上、音楽性はポップスと化した「ロック」では、この役目はいささか手が回らない状態なのではないかと。


アコースティックだけがこの役目を担っているとは言えないと思いますが、間違いなく中核にある概念だと思います。





文章にすると身が引き締まります。

日頃注意してはいるけど、自分が全く差別をしていないとは限らない。


まあ僕も人間ですし、不完全で許されると信じたい。
しかし誠実さは忘れないでいたいと思っています。




全く間違わないなんて、できるのは全知全能の神様ぐらいのものでしょうか。















まあ神様なんていたら差別なんて起こらないんでしょうけど。