こうして、つらつらとブログを書いていて思うのは、ブログはまあ日記みたいなものだということ。
ネットで調べると、「日記的なWebサイトの総称」とある。
そもそも日記は人に読ませるものではないだろう、というのが私の考えだが、それを言うと元も子もないので止めておく。
不特定多数の方々がご覧になるので、どうしても肩ひじ張って書こうとして億劫になったり、筆が止まってしまうのは、昭和生まれのせいか、生来の生真面目な性格の問題か。
そう、もっと気楽に書けばよいのである。
その日は、一生に一度きりしかないのだが、その日にあったことだけでなく、その日に思ったこと、考えたことを素直に書けばよいわけで、何も構えることはないと考えると、気も楽になる。
日記といえば、大学時代は日記を書いていた。例の三鷹の“土蔵部屋”で、きちんきちんと、ほぼ毎日書いていた。
日記は5年分で、大学ノート5~6冊は書いたと思う。
この日記は今も家のどこかにあるはずだが、多分読み返すことはないだろう。
そこに散りばめられた青春の日々は、甘酸っぱくて、キラキラ眩しくて、とても読み続けることができないだろうから。
(了)